小説 [MD9]4号機崩壊+放射能首都直撃


大きな余震で4号機が崩壊し「直ちに人命に影響する」放射能が首都を直撃。
非常事態宣言とともに軍の管轄下で外出禁止となり、
首都圏のビルに線量が下がるまで多くの人が監禁されたら。
人は生き延びることができるのか

このような未来がくることなく、福島原発の事故も無事収束することを願ってる。
少しでも啓発の一端となればと常時更新中。


2011年3月11日14時26分。東日本大震災発生。
翌12日に福島第一原発1号機メルトダウン。
14日には3号機メルトダウン。
15日には4号機で爆発。
そして、、、


2012年8月09日08:00 千葉柏  『いつもの朝』
2012年8月09日13:20 福島原発 『真夏の雪』
2012年8月09日13:42 国会議事堂『MD9』
2012年8月09日13:42 羽田空港 『子供達の旅立ち』
2012年8月09日14:20 新宿   『北斗の世界』
2012年8月09日14:45 富山空港 『箱舟』
2012年8月09日18:00 新宿   『悪夢』
2012年8月10日03:00 東京上空 『首都移転』
2012年8月12日15:00 新宿   『食糧』
2012年8月12日16:00 福岡   『荒れ狂う核』
2012年8月12日17:50 羽田空港 『玉音放送』
2012年8月13日04:00 新宿   『遺書』
2012年8月13日04:00 福岡   『日米首脳会談』
2012年8月13日04:30 新宿   『咆哮』
2012年8月13日06:00 富山   『母想ふ』
2012年8月14日09:00 羽田   『脱出』

2030年8月11日14:30 高岡   『希望』

2012年8月9日8:00 千葉県柏市『いつもの朝』

「夕べも遅かったのね」
朝食を載せたお盆をテーブルに運びながら紀子は、寝ぼけ眼で新聞を読む夫に言った。
「ああ、またタクシー帰りで2時半だった。来週初めまでこんな感じかな」
野球の結果を流し読みしながら、健一は答えた。

健一はコンピュータのシステム開発で、慢性的に忙しい生活を送っている。
特に企業が休みでシステムを入れ替えるタイミングである、お盆や正月などの時期にピークを迎えることが多い。
システムインが近付くと休日出勤や深夜勤務が当り前の日々となる。
「そう。いつまでも若くないんだから、あまり無理しないでね」
「うん」
気のない返事をしながら健一は新聞をたたみ、TVをつけた。

「いただきます」
手を合わせる。
ご飯に豆腐の味噌汁、納豆とノリと目玉焼きとサラダ。
いつものように味噌汁から口をつける。
深夜仕事中に夜食を食べたり、差し入れのお菓子を食べたりで朝はあまり食欲がない。
正直寝ていたい日もあるが、平日妻の紀子と唯一話せる朝の時間を健一は大切にしたかった。

テレビの朝のニュースが節電を呼び掛ける。
「風はまだ強いですが今日の最高気温は昨日に引き続き33度の予報です。皆様熱中症には気をつけてください。
またクールビスを心掛け、冷房の温度は28度となるよう...」
「また33度か。会社も節電節電で蒸し暑いんだよな」
「窓とか開けられないの?」
「風が強いとダメだね。夜10時過ぎたらビルの空調も止まって最悪だよ。汗だぐ。
ほら結婚式の時に乾杯の挨拶して貰った、岡山さんっていただろ?震える手で原稿読んでた。
あの人夏バテでダウンして3日も休んでるんだよ」
「細い人だったもんね。健一さんも少し痩せたんじゃない?」

結婚して4年になるが、紀子は付き合いだした時と同じく、3歳年上の夫をさん付けで呼んでいた。
何回か呼び方を変えてみたが、しっくりこなくて、結局は戻ってしまうのだ。
「昨日風呂の前に体重測ったら、60キロ切ってたよ」
「水分や塩分は小まめにとってね」
「ああ、わかってる。ともきはまだ寝てる?」

健一は茶碗を持ったまま、小さな子供用のベッドに顔を向けた。
去年2011年3月11日に生まれた一人息子。
東日本大震災のほぼ同時刻に生を受けた。
妻の実家である富山高岡の病院で生まれたため、幸い何の不自由もなく出産することができた。
もしここ千葉県柏市の病院だったら大変なことになっていただろう。
今でもぞっとする。

震災時、新宿のビルの9階にある健一が勤めるオフィスも大きく揺れた。
事故直後からパソコンのネットワークが繋がらなくなり、全く仕事ができなくなった。
この時も忙しい最中だったが、仕事は調整して貰い、本来は11日の最終便の富山空港行きの飛行機で週末は富山で子供と対面するはずだった。
しかし電車は止まり、富山はおろか自宅の柏市までも帰れず、帰宅難民となってしまった。

未曾有の大震災。
コンピュータ社会の、都会の、政府の、人々の、あらゆる脆さが露呈した日。
東北に壊滅的な津波が押し寄せ、簡単に電源が喪失し原発がメルトダウンした。
家が流れる映像に目を疑い、原発の相次ぐ爆発に恐怖した。
あらゆる安全神話が単なる人間の思い込みであったことを、完膚なきまでに痛感させられた。

結局電車を乗り継いで、健一が高岡にて子供と会えたのは生まれて2日後だった。
標準の3000gで生まれたが、健一が思っていた以上に小さく、淡く儚い存在であった我が子。
震災や原発爆発の混乱や不安、そしてなんとも言えない感動も相まって、出会えた瞬間涙が流れた。
無事産まれたことに、日頃信じたこともない神様に感謝した。
希望の灯りを燈し続けるような人に育って欲しいという願いを込めて「燈希(ともき)」と名付けた。

紀子と燈希は原発事故の不安もあり、生後3カ月間富山で過ごした。
そして2011年6月から、ここ千葉柏で親子三人の生活が始まった。

もうすぐ1歳5カ月となる燈希。
今でも夜泣きが酷く、夜遅い健一は最初のうちは参ってしまったが、今ではどれだけ泣かれてもぐっすり寝れるようになった。
その分紀子はその都度起きなければならず、慢性的に寝不足だ。

夜泣き以外で特に困ることや何の病気一つも無く、元気に育ってくれている。
日中は走り回るようになり、色んな言葉も爆発的に話し始めた。
毎朝6時半頃に燈希は紀子といっしょに起きて7時に朝食。
食べ終わると今日のようにすぐ寝てしまうことが多かった。

「最近朝は10時ぐらいまで寝てることが多いのよ」
紀子は燈希の寝顔を確認し、クーラーと併用している扇風機の位置を少し変えた。
節電で28度の温度設定では、元々体温が高い子供には汗ばむ暑さだ。
都会の逃げ場のないような暑さには、紀子も未だ慣れない。

12階建てマンションの10階の部屋なので、窓を開けると時折気持ちのいい風が入る。
しかし0.5マイクロシーベルト/時を超える地点もある放射線量の柏では、紀子は子供のために出来るだけ外気に触れさせたくなかった。

事故前の基準である年間1ミリシーベルトに抑えるためには、毎時0.13マイクロシーベルト以下にする必要がある。
柏では普通に暮らしているだけでは、間違いなく年間1ミリシーベルトを超えてしまう。

本当は神奈川方面にでも引っ越したいと紀子は願っていたが、2010年にローンで買ったばかりのマンション。
簡単に売買するわけ分けにはいかなかった。
幸い震災でもひび一つ入ることもなく、普通に暮らす分には快適な新築マンションである。

ただ燈希のことを考えると少しでも被曝量を抑えため、実家の富山に里帰りする回数や期間を増やした。
今日も午後から羽田空港経由で、燈希と一緒に富山の実家に帰る予定だ。
富山の空港を降りた時点から、放射能のことをほぼ気にしなくてもよい暮らしが始まる。
今まで当り前だった日常の有難味を、紀子は感じずにはいられない。

紀子は育児の合間にツイッターで放射能の情報を収集している。
それは気晴らしではなく、我が子を守るため。
現実を知れば知るほど辛くなる。
そして氾濫する情報の中で、どれが真実なのかはわからない。
長期に続く低濃度放射線被曝による健康被害は、人類の未体験ゾーンで誰も正しくはわからないのだ。

色んなことを知らない方が、生きて行く上には幸せなのかもしれないと思わない手も無い。
しかし生まれたこの子のために、最大限のことをしようと紀子は決めていた。

柏での暮らし。
燈希の口に入れるものには気を使って、水は宅配、食材は実家の富山から地元産や西日本産のものを送って貰っている。
近所のスーパーは東北関東産の野菜が中心のためだ。

先日スーパーで値引きの刺身の買ったときに、値引きシールを捲ってみると東北の産地名が印刷されていた。
偽装ではないか。
刺身はゴミ箱に捨てて、そのスーパーには二度と行かない。
燈希に最初の頃飲ませていた粉ミルクからもセシウムが検出された。

気にすればするほどエンゲル係数は一気に跳ね上がった。
しかし原発事故後の「暫定」基準値が、500ベクレル/kgなどと滅茶苦茶の値を提示された時から、政府のいうことは信用していない。

元々原発事故前の日本は放射性セシウムが100ベクレル/kgを超える場合は、特別な管理下に置かれ「低レベル放射性廃棄物」として処分場に封じ込めいたのだ。
それを事故が起きたからと言って、処分どころか急にその5倍まで食べて大丈夫だと政府は言いだした。
低レベル放射性廃棄物を「食べても安全」となった論拠を示さないまま。

しかも500ベクレル/kgというのは、全面核戦争に陥った場合に餓死を避けるためにやむを得ず口にする食物の基準値だ。
それを一年以上続けていた。
2012年春にようやく改定されたが、それでも100ベクレル/kgまで認めている高い値のままだ。
そんな食品を本当に長期に渡って食べ続けて大丈夫なのだろうか。
結果は何年後か、何十年後かに出る。

紀子も東北や関東の食材が全てダメだとは思っていない。
感覚だが9割ぐらいは大丈夫ではないかと信じている。
ただ過去の公害被害にせよ、薬害にせよ、政府が最初は大丈夫だと言い続け、大部分が後で大変な問題となっているのだ。

病気になってから幾ら保障されても、その人生は大きく変わってしまう。
そして被害者達の長年にわたる抗議運動の結果で、ようやく国はしぶしぶ非を認める。
その時には被害者が亡くなっていることも多い。
病気にならないよう未然に防ぐことが、大切なのに。
そんな最低限のことを行わない政府から、子供を守れるのは子供の母親父親しかいない。

そこまで意識している紀子だが、近所のママ友達は放射能なんか全く気にしていないという家庭が大半だ。
放射能関係の話をすると奇妙な生き物でも見るような視線を送られることもある。
その為紀子は外で放射能の関連の話を一切しなくなった。
本当は他の子供達を含めて、みんなを守ってあげたい気持ちを抑えて。

一方、健一は紀子と違いそこまで放射能の心配はしていなかった。
会社では今ぐらいの放射能レベルなら、たばこや酒の方がよっぽど体に悪い、そんな程度だよ、と話す同僚も多い。
そのことを健一が家で紀子に話すと、普段はおっとりとした妻が、
「たばこやお酒は大人が自己責任で判断できるけど、放射能は小さい子供や動物達にもまんべんなく降り注ぐのよ。全然違うのよ」
ときっぱり言われてしまった。

正直組んだばかりのマンションのローン返済で経済的には厳しいが、それ以来放射能に関することは紀子の思うままに任せている。
紀子も自分に関する支出はほとんど切りつめて、家族の安全に最大限に取り組んでいた。

副産物として電車で3駅離れた健一の実家で、燈希に出されてた焼き魚を紀子が産地を聞いて断ったことにより、
健一の両親と妻の関係がもつれ、嫁姑問題となったのは頭が痛いところだ。

健一の母は食べて被災地を応援したいと強く考えており、積極的に福島の食材や茨城の水産物を買っている。
紀子はそれでは責任の所在がうやむやになってしまうと思っていたが、義母にそこまでは言えなかった。
ただ自分ならともかく燈希に食べさすことはできない。
健一も燈希がいつまでも健康であれと切に願っている。

「うぇーん!」
大きな声で燈希が泣きだした。
目覚めは大概泣いて起きる。

「おー、起きたか燈希」
健一は燈希を持ち上げ、高く掲げた。
燈希は2,3度目をしばたき、「おとうしゃん」ともう笑顔になる。

「いいねぇ、ともちゃん。お父さんに遊んで貰って」
「ほらっ!高い高〜い!」
「きゃっきゃっ!」
燈希は大喜びだ。

「健一さん、燈希をあんまり激しく揺さぶらないでよ」
「わかってるって。あれ?燈希ウンチしてるよ」
健一はベッド横の紙おむつを取り出した。

「いいよ健一さん、もう出勤の時間でしょ?」
「うん、じゃ後は任せた。見送りはいいから先に燈希のオムツ変えてあげて」
「わかったわ。じゃ今日のお昼の飛行機で富山に行くので」
「風で飛行機、大丈夫かな?」
「さっきネットで見たら、今のところ運航には問題ないみたいよ」
「そう。お義父さんお義母さんによろしくな。俺も水曜日には行くので」
「ええ。お土産は私が今日羽田で買うから手ぶらで来てね」
「うん。じゃ行ってきます」
「ほら、燈希もお父さんにバイバイして」
「バイバイ、お父しゃん!」
オムツを替えられながら、元気に手を振る燈希に見送られ、健一は玄関の扉を開けた。

2012年8月9日13:20 福島第一原子力発電所『真夏の雪』

福島原発1〜4号機。
2011年末に総理が早々と安全宣言を出したが、現実には未だ1000万ベクレル/時もの大量の放射能を大気に放出し、
高濃度の汚染水を海に垂れ流し続けている。
未だメルトダウンした放射燃料がどこにあるかさえ分からない。
メルトスルーによって、地下水の汚染が深刻な可能性も高い。
何一つ収束などしていない、原発の残骸。
超高濃度の核の汚染物質。

そんな状況下の原発で、幸田(こうだ)は今日も防護服に袖を通した。
原発に隣接している大熊町の農家の長男としてうまれ、高校卒業後から福島原発で作業員として働いている。
震災のときは1号機で点検作業を実施していた。

足元から持ち上げられるような体験したことのない揺れ。
地震には絶対の対策がとられていたはずの原発が、地震にだけでもここまで脆いとは想像だにしていなかった。
そして留めを指すように津波による電源喪失。
元気が消えアラーム音が響く中、もうだめだと思い、同僚とともに車で山沿いへ逃げ去った。
家に戻り高齢の両親を車に乗せ、山形まで夜通し走った。

山形の温泉宿で一晩過ごし、ニュースを食い入るように見ていると携帯が鳴った。
上司から「至急戻って原発作業して欲しい」と切迫した声の連絡であった。

両親とともに一旦郡山市の避難所に入り、変わり果てた原発と対面した。
43歳独身。彼女も居ない。
余震も相次ぐなか、幸田は死を覚悟して原発に入った。
入って間もなく、1号機が爆発。その後も14日に3号機、15には4号機と相次いで爆発が続いた。
放射線量もは至る所で信じられないぐらいに高い。
死に直面する値が頻繁に検出される。
見えない放射能の恐怖と闘いながら、無我夢中で一カ月が過ぎた。

少し落ち着いてきた頃、幸田は匿名でツイッターに原発作業の様子を投稿し始めた。
あまりにもデマに惑わされる人たちが多いと感じていたからだ。
ツイッターでは猛烈に非難されたり、本当は政府の回し者だろうと決めつけられたりと不快に感じることも多かったが、
大勢の人がフォローしてくれて、励ましのコメントをツイート(投稿)してくれた。
そのことが避難所から仮設暮らしに移り、何の楽しみもない日常生活で頑張るための励みになった。

事故から一年半近く経つが、いつになったら、どうしたら事故が収束するのか現場で働いている幸田にも検討がつかない。
「こうすればよいのでは?」という現場からの提案は、第二次下請けの立場では東京電力までは全く届かず、疑問に思うような作業ばかりやらされている。
東京電力とメーカーが机上で決めた、現実とはかけ離れた行程表を、見せかけだけでも遅れないように作業しているのが今の実態だ。
国からの対策予算は減らされ、決められた線量をとっくに超えたベテランの作業員達の多くが現場から去って行った。
ベテラン達は「俺達は年寄りだから、放射線の影響は小さい。東北のためにもうしばらくここで働かせてくれ」
と懇願してくれたが、規則一点張りの東京電力の壁に、貴重な人材が一人また一人と現場を去って行った。

幸田も今の累積線量から考えると、今年の冬には現場を去らねばならない。
全国各地から寄せ集められた補充要員の人々は、初めて原発作業に携わる人ばかりで、後を託せる人材も全く育っていない。
どうしようもない絶望の中でも、一歩づつ事故収束に向かうことを信じて、日々の作業をこなしている。

幸田は自分の線量計のスイッチを入れ、バスに乗り込んだ。
行先は4号機だ。
強風の影響で昨日は作業が停止した。今日もまだ風が強いが、昨日よりは随分ましだ。
今日も風に乗り、関東方面へむき出しの燃料プールの放射能が飛んでいっている。
風により現場の放射線量も高い。
嫌な日だ。

4号機にバスが到着すると、裏山の高台へ続く道を登った。
4号機と共有プール用の予備非常用電源の強化作業に幸田は先月から携わっている。
明日でようやく終わる予定だ。
比較的放射線量が低い屋外の作業だったが、来週からはまた原発内部の作業になる。

猛暑の中で防御服を着ての山登りはきつい。
3分もしないうちに幸田は汗だぐとなった。
50代、60代の作業員はこの暑さで何人も倒れている
。
ようやく現場に到着すると、壁や屋根が吹っ飛んでいる4号機の内部が高台からよく見える。
使用済み燃料プールには1535本の燃料棒が残っている。
そして横の共用プールには、約6400本の使用済み燃料棒が冷却されているのだ。
海外からも危険視され、一刻も早く撤去すべき核の廃棄物。

ただこれが全部撤去できるのは10年先か20年先か。
廃炉に30年となっているが、自分が生きている間にこの光景が変わることがあり得るのか。
マスクの下で思わずため息がもれる。

幸田は強風に体を揺さぶられた。
?
いや風だけではない。足元が揺れている。
震度5程度か?幸田は近くの木につかまった。
いや震度6?
揺れはさらに激しくなる。
回りで作業員が倒れている。
「みんな木につかまれ!」
木が根っこから揺れ、根っこの一部が激しく空中を舞った。

これは3.11クラスの地震か!?
幸田も遂に地面に倒れた。
誰も立っている人はいない。
今までの余震の中でも飛びぬけて大きい。
大きく体をもっていかれる。

その時、ドーンと爆音が響いた。
土煙を上げながら、ゆっくりと、ゆっくりと4号機の建屋が崩れていく。

ああ!?ああぁー?。

幸田は崩れ落ちる4号機の光景が、パラパラ漫画のように一シーン一シーンがストップモーションで網膜に焼きついた。
4号機は緩やかに崩壊しながら、燃料棒が飛び散って行った。
最悪だ。
想定さえしたくない現実だったが、やはりこうなったか、という思いが幸田の脳裏を過る。

ダメだ!逃げろ!
回りで叫び声が上がる。
まだ激しく台地が暴れる中、幸田も全速力で頂上に向かった。
足がもつれる。構わず駆け上がる。

バーン!
今度は乾いた爆発音がした。
振り返る。
青白い炎が不気味に揺らいだ。
放射能火災が起こっている。

幸田はもう手の施しようの無い事態が、進行中であることを悟った。
何か出来ることはないか!何をしなければいけないか!?。

防護服の手袋を外した。
胸のポケットからスマートフォンを取り出し、震える手でツイッターに「にげろ」と書き込んだ。
ツイートのボタンをクリックした瞬間、さらに大きな爆発音がした。

爆風で幸田の体は弾き飛ばされ、頭から大木にぶつかった。
スマートフォンは石にぶつかり、粉々に大破した。
薄れゆく視界の中で、幸田の目には破壊されたスマートフォンの残骸が核の青白い光に照らされて、雪のように輝いていた。

2012年8月9日13:42 国会議事堂『MD9』

臨時国会。
総理が政治生命をかけると語った消費税増税の法案。
各種政局で二転三転を延々と繰り返したが、今まさに成立しようとしている。
総理は気を抜くと満面の笑顔になりそうなのを必死に押さえている。
拍手と怒号が飛び合う中で、国会議事堂が激しく揺れた。

「ただ今地震が発生しています。直ちに机の下などに身を伏せてください」
事前に録音されていたアナウンステープが、揺れで騒然とする議場に流れた。

老朽化している国会議事堂は大きく揺れ続けている。
ほとんどの議員達は机の下に潜り込んだ。
揺れの中、総理と副総理だけは屈強なSP二人づつにガードされたまま、
国会議事堂地下の震度7以上まで耐えられる特別緊急対策室に運ばれた。

「アウターライズ地震か?」
副総理の岡場はまだ続く揺れの中、モニターを凝視した。

対策室の9画面のモニターのうち2画面が消えている。
福島原発のライブカメラとSPEEDIの情報が映し出されていない。
福島沖が写っているライブカメラでは、海面が激しく波打っている様子が映し出されている。
そして遠くには津波の第一波の様子が見え隠れしている。

「津波の予報は!?」
岡場副総理は補佐官に聞く。
補佐官は災害に強い衛星電話で、気象庁と通話している。

「津波は最大3.11の半分規模と想定されています。アウターライズ地震ではなさそうです!」
アウターライズ地震とは東日本大震災の揺り返しと恐れられている地震。
陸地からは離れた場所で発生するため、陸地での揺れは小さいが、併発する津波は大規模なものになりやすいという特徴があった。
大震災後から3.11を超える大規模の津波被害を引き起こすと恐れられている。

「そうか。ということは通常の余震と言うことだな。マグニチュードは?」
「7強です。震源地も前回の地震近く。現在のところ最大津波の高さの予報は6mということです」
「津波被害に備え、沿岸住民を一斉に高台へと避難させるんだ。原発は?」
「まだ連絡とれていません。ライブカメラも写っていないようです」
「所長に電話したのか?」
「はい、衛星電話で話しているのですが通じないようです。回線は通じているのですが。東京電力本社からもまだ不通です」
「線量の変化は?」
「今、確認中です。オペレータ!画面出せるか」

オペレータがキーボードを操ると、一つのモニタが切り替わり、福島原発に設置された線量データの一覧が表示された。
全測定値の線量を示す一覧が、赤字でMAXを示している。
限界値を振りきれているのだ。
警告の文字が激しく点滅を繰り返す。

「なんだ、全部がMAX?故障じゃじゃないのか!?」
岡場副総理が叫ぶ。
「原発内の999ミリシーベルトまでしか測れない線量計は全てMAXです!今1000シーベルトまで測れる線量計の一覧に切り替えます。」
モニタの一覧が切り替わった。

福島原発 999.999シーベルト/時(MAX測定不能)
福島県庁  1.024シーベルト/時
茨城県庁   0.438シーベルト/時

総理、副総理、補佐官、SP、オペレータ、その場にいる全員が茫然と立ちすくんだ。

「単位は間違いじゃないのか?1000シーベルトを超えているなんてありえないだろう。」
静寂を岡場副総理の怒声が引き裂いた。

「いえ、単位はシーベルトです。見てください!福島県庁の値が上がっていってます!」
2シーベルトオーバー、3シーベルトオーバーどんどん福島県庁の線量が上がって行く。

「バカな!?故障じゃないというのか。これでは福島は、、、総理!直ちに緊急事態宣言を!!総理?」
総理は虚ろな瞳でモニタを眺めていた。
「あと少しだったのに」
「はっ?」
「もうすぐ消費税法案が可決したのに。。。政治生命をかけた消費税が。。。増税が。。。」
消え入るような声で総理は呟いた。

「今そんなことを言っている場合ですか?しっかりしてください総理!」
岡場は総理の肩を揺すった。
総理その場で力なくへたり込んだ

「くそっ、どうしようもない。SP!こいつをドジョウのかば焼きとでも一緒に、地下の核シェルターの奥底深くに放り込んでおけ!」
「い、いいんですか?」
「仕方あるまい。今から私が指揮をとる」

SPに両脇を抱えられ総理は特別緊急対策室から退陣した。
TPP,消費税には政治生命をかけたが、原発に対しては官僚の言われるままに世界に向けて安全を宣言し、事故収束に関する予算を削った。
その男が政治の舞台から自らずり降りた瞬間だった。

「先ずは補佐官。原発に詳しい学者をここに集めろ。御用学者じゃないやつだ。あの何とかという反原発の京都大学の学者も呼び寄せるんだ」
「わかりました」
「次にMD9を今すぐ発動だ!」
「ナインですか?」
「ああっ、今ナインを出さなかったらいつ出すんだ!?すぐ発動させろ!!」

MD9(エムディーナイン)。
国家緊急事態のコードネームの一つ。
MDはメルトダウンを表し、後ろの数字は事故レベルを表す。
「メルトダウン+レベルナイン」。
チェルノブイリを遥かに超える未曾有の原発事故が発生したのだ。

「SPEEDIの情報はまだか!?」
「今繋がりました!」
オペレータが操作を行うと東日本の地図上に、赤い矢印が躍っている。

「なんてこった。。。」

またもや全員が言葉を失った。
福島原発からの風向きは強風を示す赤色で表示され、一直線にいわき市、水戸市、つくば、柏市、そして東京、横浜を直撃するルートを示している。

「首都直撃か。最悪の風向きだな。今の関東の線量計もだせるか。シーベルトの単位で」
「はい」

先ほどのモニタの線量計の一覧に、関東の計測値が追加される。

福島原発 999.999シーベルト/時(MAX測定不能)
福島県庁  12.924シーベルト/時
茨城県庁  4.968シーベルト/時
つくば   0.001シーベルト/時
柏     0.000シーベルト/時
新宿    0.000シーベルト/時
横浜    0.000シーベルト/時

福島県庁の値はまだめまぐるしく上がっている。
茨城の値もゆっくり上がり続けている。

「SPEEDIでの放射能の到達予想時間を教えてくれ」
先ほどの地図の上に、時刻の表示が追加された。

「東京で2時間後。。。たった2時間でどれだけの民を避難できるというのか。」
「副総理。東京大学との回線が繋がりました」
モニタには原発事故直後から頻繁にテレビに出ていた東京大学教授の血の気の失った顔が映し出された。

「なにが起こっている?」
「わかりません。恐らく今の地震により4号機の建屋が崩壊したと思われます」
「4号機崩壊したとしても、燃料が溶けだすまでに1日以上の猶予があったはずだろ」
「な、なんらかの爆発的事象が併発したのではないかと。もう少し詳しい情報がないと何とも。。。」
「今から2時間後に東京に放射能直撃する。できることは?」
「屋外に出ず、なるべく目張りすることぐらいしか」
「そうか。それぐらいしかないか。。。」
「それと副総理」
「なんだ?」
「私のところに一台自衛隊のヘリを回していただけませんか。関西に行きたいので」
「アホか?お前はずっとそこに居て、回線を繋いで対策を考えるんだ」
「そんな、、、」

「副総理。近くを飛行中の民間機からの福島原発の映像に切り替えます」
東京大学教授の顔が消えた。
飛行機からの揺れる画像が表示された。
遠くに映る福島原発の上に、大きな核爆発のキノコ雲が何個も立ち上がっていた。
地上付近には青白い炎が随所に見える。
時折稲妻のように青い閃光が空を切り裂く。

「これが、これが現実なのか!?」
岡場は拳を握りしめ、机を叩いた。

「副総理。会見の準備が整いました。3分後に全局に対する緊急放送開始可能です」
隣の部屋にある放送室に向かう中、岡場は国民に向かって何を話すべきかを模索していた。
津波からの避難、放射能を浴びるリスク、パニックが発生するリスク、色んな可能性を想定している時間は全くなかった。

その頃揺れも収まった国会の本会議場は、秘書などからもたらされた情報で原発爆発を知り、無秩序に逃げまどう議員でさらに議場は混乱していた。
出入り口に議員が殺到する中将棋倒しが発生し、下敷きとなった議員が何人か死亡した。
福島選出の世襲議員で、利権を求め親子ともども福島原発を熱心に推進した老人の最後は、皮肉なことに福島の原発事故の知らせによるものであった。

2012年8月9日13:42 羽田空港『子供達の旅立ち』

紀子と燈希は羽田空港で、頻繁に飛び交う飛行機を窓から眺めていた。
「ひこうき、オッキー!ひこうき、いっぱい!」

燈希は目を輝かしながら夢中で飛行機をずっと見ている。
電車の中でもご機嫌だったので、14:30出発の飛行機内でぐっすり寝てくれば、平和なフライトとなりそうだ。
着陸の富山空港には紀子の父と母が出迎えに来てくれる。

懸念された風の影響による欠航便もなく、順調に次々と飛行機が飛びだしている。
「あっ、ひこうき、飛んだ!あっちでひこうき降りた!」
燈希は忙しそうに、飛行機を指さしている。
紀子は携帯電話でツイッターの記事を流し読みしていた。

その時携帯電話から緊急地震速報のアラーム音が一斉に響き始め、10秒後に空港が大きく揺れた。
空港の電気が消える。
辺りから悲鳴が上がる。

「ただいま地震が発生しております。係員の指導に従ってください。
カバンなどで頭を守る体制を整えてください。繰り返します。」
咄嗟に燈希を抱きしめ、紀子は旅行鞄を頭にかざした。
地震は立っていられないほど強かったが、柏のマンションの10階の自宅で襲われた東日本大震災の揺れよりは小さく感じる。
羽田でも建設が2004年と比較的新しい、第2旅客ターミナルだったおかげかもしれない。
それでも足元から揺れている。
「おかあしゃん。。。」
泣きながら燈希がしがみ付いている。
「大丈夫よ燈希。もうすぐ収まるからね」
お盆前のこの時期回りに沢山の子供達がいる。
みんな両親につかまっていた。

徐々に揺れが収まってくる。
騒然としていた回りも徐々に落ち着いてきた。
「もう大丈夫よ燈希」
「おかあしゃん。。。」
まだしっかりと母にしがみついている燈希。

紀子は夫の安否が気になって電話をかけようとしたが、通話が制限されており電話をかけることができなかった。
メールで夫と富山の父母に「燈希、紀子、羽田空港無事。そちらは大丈夫?」と一斉通信を行った。
時間とともに安堵の空気が辺りを包み始めていた。

紀子はイスに座り、燈希を膝の上に載せながら、情報収集のためツイッターを見始めた。
地震に関するツイートが山のように溢れている。
概ね東日本大震災より揺れなかったと書き込まれていた。
ニュース速報として大津波警報も出て、最大8mの大津波としきりに情報が流れている。
沿岸に住む人たちは車で高台に逃げ始めているようだった。
そんなツイートの海の中で、いつも詳しく目を通している原発作業員のツイートが目にとまった。

「にげろ」

いつもは砕けた口調のツイートなのだが、今日はそれだけしか書かれていない。
「にげろ?って。。。」
紀子は嫌な予感がした。
もしかして原発に何か事故でも?

空港は非常用の予備電源に切り替わり、消えていた電気が一斉に灯った。
空港の大きなビジョンにNHKの放送が映し出される。
地震の震度の情報と、津波の到達予想時刻が表示されている。
余震に気をつけて高台に避難してください、と繰り返しアナウンサーが切迫した表情で訴えていた。
その時突如画面が切り替わり、作業着を羽織った岡場副総理の会見が大写しとなった。

空港中の人たちがその会見の姿を見ている。
「岡場副総理です。総理が地震で怪我を負ったため、私が代行で当面の間、総理を務めます」
軽く会釈をして先を進める。
「先ず今回の地震での津波は東日本大震災の半分から1/3程度と推測されています。
関東東北の海沿いの方は、長袖長ズボン、マスク着用で出来るだけ外気に触れないような服装で、直ちに高台に避難してください」

なぜこの暑い真夏に長袖長ズボンを?
回りで疑問の声が上がる。

「また、ここからは国民の皆様には冷静かつ落ち着いて聞いていただきたい」
岡場副総理はテーブルの上に置かれた水を一気に飲み干して続けた。
「詳細は現在調査中ですが、福島第一原発で重大な事故が発生しました」

やはり。
紀子は無意識に燈希をギュッと力いっぱい抱きしめた。
「痛いよ、おかあさん」
紀子は気にせずに次の言葉を待った。

「現在福島県一体で非常に高い濃度の放射能が検出されています。
高台に避難中の皆様は、外気に触れない格好で車のクーラーなどの電源は切り、極力外気を入れないように避難してください。
ご自宅やオフィスにいる皆様は、出来るだけ密閉性の高い場所に避難してください。
密閉性が低い建屋の場合はガムテープなどで目張りを行い、決して外にはでないでください。
外に居る方は、今すぐ建物の中に入ってください」

辺りが騒然となる。

「続いて関東の皆さんについての報告です。
現在東北から関東に向けて風が吹いています。
SPEEDIの予測では、今から30分後の14時20分に茨城県水戸市、それから35分後の14時55分に茨城県つくば市、
20分後の15時15分に千葉県柏市、20分後の15時35分に東京、25分後の16時ちょうどに横浜に非常に強い放射能が風に乗って到達します」

えー!?
空港内に一斉に叫び声があがる。

「どのぐらいの放射線量となるかはまだ調査中ですが、人間の致死量に相当する高濃度放射能の可能性が高いです。
国民の皆様は冷静に行動をお願いします。
放射能に対しては今から逃げるのではなく、建物の中で出来るだけ外気に触れない対策を行ってください。
また車に乗っている方は、通行の妨げとならない場所に停めて、至急建物の中に避難してください。
繰り返します。SPEEDIの予測では、、、」

先ほどの「にげろ」の意味はこれだったのか。
紀子は体中から一気に汗が噴き出した。
燈希を見る。
燈希も茫然と画面を見つめていた。
岡場副総理は継ぎ足された水を再び一気に飲み干した。

「ただ今を持って国家非常事態宣言を発令します。
今からすべての場所は自衛隊の管理下に入ります。
国民の皆様の勝手な行動は控えてください。
自衛隊、警察官の指示に従って行動となります。
命令に背いた場合は発砲も許可します」

声にならないどよめきが辺りを包む。
紀子が辺りを見回すと、既に飛行機乗り場のゲートには銃を帯同した自衛官と思しき人が何人か立っている。

「非番の自衛官や警察の諸君、MD9(エムディナイン)を10分前に発動しました。
至急任務についてください。
国民の皆様、くれぐれも冷静に判断、行動願います。
とにかく時間がありません。
津波の心配のない地域の皆様は、建物の中で放射能をやり過ごしてください。
テレビ、マスコミ、電話、水や電力のインフラも全て政府の管理下に置かれます。
不要不急なインフラの使用は控えてください。
ただし水の出る地域の皆さんは、出来るだけ水を貯めてじゅださい。
浴槽、バケツ、何でもよいです、

TV、ラジオはしばらくこの緊急避難放送のみが放映されます。
次の会見は30分後です。それまでは津波と放射能予想到達時刻を放送します。
ヨウ素剤を持っている方は、放射能到達時刻以前に飲んでください。
万が一外気に触れた服は家に入るまで処分ください。」

緊急時の伝達を繰り返し、最後に岡場副総理は「一人でも多くの国民が生き残れることを祈っています」と訴え頭を下げた。
その目には涙が止めどなく流れていた。

放送が終わると、羽田空港は騒然となり一斉に搭乗ゲートに人が殺到した。
紀子も燈希を抱え走った。

「落ち着いてください」の怒声とともに、パーンと乾いた発砲音が聞こえた。
ゲートに詰めかけた人たちが、反射的に平伏す。

「ブーブー」
非常用のサイレン音がアナウンスに乗って羽田空港に流れた。

「MD9発動に伴い、今から羽田空港は自衛隊の管理下に置かれます。
今から出発する全ての便は、18歳以下の子供のみ搭乗可能となります。
ご両親や関係者の皆様は子供の洋服に名前、連絡先の電話番号を速やかに記載ください。
搭乗の優先順は搭乗チケットを持っている18歳以下の子供、
次は搭乗チケットを持っていない18歳以下の子供です。
19歳以上は本日の便には搭乗できません」

悲鳴に似た叫びがあちこちで起こる。
また非常用のサイレンが鳴り響いた。

辺りには大勢の子供達がいる。
紀子はもう自分が飛行機に乗れない覚悟を決めた。
持っていたマジックで燈希のシャツに、名前と千葉柏の住所と電話番号、富山の実家の住所と電話番号、自分と夫の携帯の電話番号を書いた。
泣きながら書いた。

「おかあしゃん、どうしたの?」
状況が理解できない燈希が不安げに聞く。
「ゴメンネ。お母さん急に富山に行けなくなっちゃったの。燈希ひとりで飛行機に乗れるよね?」
「えー、おかあしゃんと一緒じゃなきゃいや」
「いい子にしてるのよ。おじいちゃんとおばあちゃんの言うことをよく聞いてね」
「いやだよ、いやだよー」
紀子は燈希のリュックからおもちゃを捨て、僅かに持っていた食料と飲み物を詰め込み小さな背中に背をわせた。
最後にギュッと燈希を抱きしめ、搭乗ゲートに急いだ。

発砲の効果もあってか、慌てつつも整然とみんな並んでいる。
紀子のゲートの順番のひとり前で、一人の老人が自衛官に食ってかかっていた。

「わしを誰だと思っているんだ!?」
「お下がりください」
「知り合いの議員に連絡すれば、お前なんかあっという間にクビだ!」
「邪魔です。お下がりください」
「なら金をやろう。そうだ丸の内のビルをお前に譲ってやる。五億は下らない。それでどうだ?」
辟易した顔で自衛官は老人の耳元で呟いた。
「東京のビルなんてあと数時間で一文の価値も無くなる。今後一生東京には入れないそうだ」
「そ、そんなバカな。。。」
老人は茫然とへたり込み、紀子達の順番が回ってきた。

「相川燈希。1歳半です。富山空港で祖父母が迎えに来ます」
チケットを自衛官に見せた。
「通ってよし」
紀子は燈希の背中を強く推した。
燈希はゲートの先で転んび振り返って「おかーさん!」と泣き叫んだ。
「早く、早く行きなさい燈希!」
ゲートに出迎えに来たスチュワーデスに手をひかれ、燈希はゲートの奥に消えた。
「おかーさん!おかーさん!」
燈希の声が遠くで聞こえた。
「燈希、無事でね。。。」
紀子は泣き崩れた。

その後富山行きの飛行機は座席は勿論、通路や貨物にまでぎっしり子供が詰められた状態で飛行機は離陸した。
紀子は離陸した飛行機をその姿が見えなくなるまで見送った。

羽田空港の近辺の風は一層強くなっていた。
「ピー」と紀子のカバンからアラーム音がした。
ガイガーカウンター(個人用放射線測定機)RD1503の警告音であった。
「しまった」
ガイガーカウンターを燈希に持たせ忘れたことを紀子は後悔した。
カウンターの放射線量はみるみるうちに値が上がり、計測可能な9.99マイクロシーベルトを超えた。
回りにはまだ搭乗を待つ多くの子供の姿が見える。

「燈希飛行機に乗る。私は乗れませんでした。お父さんお母さん燈希をよろしくお願いします」
富山空港に迎えに来てくれるはずの父母、夫の健一に向けてメールを送信した。
何回か送信に失敗したが、5回目にようやく送信されたようだ。
富山に生きて行くことは出来ないかもしれない、そう思いつつも、放射能が到達する前に燈希を飛行機に乗せることができ紀子は安堵の表情を浮かべた。
携帯の待ち受け写真で笑っている燈希の姿を見ながら。

2012年8月9日14:20 新宿『北斗の世界』

「まるで北斗の拳だな」
健一はオフィスの9階から眼下の目を疑うような光景を見て呟いた。
東京への放射能到達予測時刻まであと15分。
もう新宿の放射能の値も随分高くなっているはずだ。

地震の直後、前回と同じくビルは停電した。
岡場副総理の会見は同僚の携帯のワンセグで、食い入るようにみんなで見た。
今はガムテープで窓の目張りをしているところだ。
冷房も止まって汗が噴き出ている。

新宿の道は放置された車で混乱している。
救急車やパトカーのサイレンが鳴り響いているが道路はとても通行できる状態ではない。
どこかの屋外のスピーカーから、早く中に入れと呼びかけが続いている。
路上にあふれ出ている多くの人たちは、各ビルの扉を叩いて入れてくれと叫んでいるが、どのビルも既に人で溢れかえっているようだ。
ほとんどのビルが玄関を占錠している。
なかには玄関のガラスが割られているビルも多い。
しかし中に入る隙間が無い。

健一の居るビルも満杯で、9階のフロアも足の踏み場がない状態だ。
大勢の見知らぬ人達で溢れかえっている。
夏休みで都会に人は少ないはずだが、それでもこうなるのか。
蒸し風呂のような暑さのなかで、出来るだけ外気を取り入れないよう努力している。
路上では仕方なく空いている車の中に飛び込んでいる人も大勢いた。

北斗の拳。
核戦争が発生した後の199X年が舞台で、暴力が支配する弱肉強食の世界を描いた少年マンガである。
健一も子供の頃に、いとこの家でむさぼるように読んだ。
その時は主人公の拳法の面白さにだけ目がいっていた。

放射能が近付いていた時、主人公のケンシロウと婚約者のユリア、兄のトキが核フィルターに入ろうとする。
しかし満杯で結局トキは自分を犠牲にし、ケンシロウとユリアを核フィルターの中に入れて、
自分はフィルターの外で放射能を大量に浴びてしまう。

そのシーンと全く同じ光景が現実に起ころうとしている。
さっき妻の紀子からメールがあって、燈希は富山便の飛行機に乗れたとのことで安心したが、
何故か紀子は乗れなかったという。
こちらは無事。何故乗れなかったの?と尋ねたメールへの返信はまだ戻ってきていない。

紀子に何があったんだ?そしてこれから何が起こるんだ?
先ほどの会見を見ただけでは、誰も何もわからない。
何日ここで過ごせばいいのか、今後どうなるのか。
風が一層強くなってきた。
いよいよ来るのか。
健一は北東の空を見上げた。
一見いつもと変わらぬ東京の空であった。

2012年8月9日14:45 富山空港『箱舟』

子供を詰めるだけ積んで羽田を離陸した飛行機が、一時間弱のフライトを経て、神通川右岸の河川敷に作られた富山空港に降り立った。
着陸の際に突風で大きく揺れた。
小さい子供達が一斉に泣きだす。
小学校高学年以上の比較的大きな子供が、小さい子供をなだめている。

紀子の両親は祈るような気持ちで着陸シーンを見ていた。
地震を知ったのは、家がある高岡から富山に向かう車の途中だった。
富山では震度2程度で、運転していたら何も気づかないレベルであった。

地震に気づかず運転しているところに、娘の紀子からメールが届いた。
「あらら。のりちゃんからそちらは大丈夫?って書いてあるけど地震でもあったのかしら」
寿子(ひさこ)は覚束ない手つきで、携帯のメールを読んでいた。

夫の孝(たかし)が車のラジオを付けて、そこで初めて地震を知った。
羽田空港は海の近くで心配したが、羽田への津波は無いようで安心した。
紀子に電話したが、通信規制がかかっており連絡が取れない。
今日のフライトがどうなるかは分からなかったが、とりあえず空港に急いだ。

空港のカウンターに着くと、待合室のTVに人が集まっていた。
岡場副総理の会見が映し出されている。

絶句した。
まさか?紀子は、燈希は大丈夫なのか。夫の健一は?
フライトを示す電光掲示板は、全ての便が「離発着不明」となっている。
カウンターに詰め寄る人も居たが、空港関係者も何も情報がないようで慌てるばかりのようだ。
中には出来るだけ西に飛ぶ便がないのかと叫んでいる若い家族も居る。

そうしている中で、紀子から二度目のメールが届いた。
「燈希飛行機に乗る。私は乗れませんでした。お父さんお母さん燈希をよろしくお願いします」
どういうことだ。燈希だけ?何故紀子は乗れなかったのか。
相変わらず紀子に連絡は取れない。

TVの会見からも被害の全体は把握できない。
ここ富山でも不要不急の外出は控え、水を蓄えて2日間は自宅に籠れというテロップがしきりに流れている。
不安だけが募る。

TVを見続けるしかない時間が過ぎたあと、空港にアナウンスが流れた。
「本日富山空港から発着する便はございません。
今から10分後に羽田発JNA985便が富山空港に離陸予定です。
念のためご搭乗のお客様には放射能の検査を行いましてから、到着ゲートに向かうことになっております。
尚、この便には18歳以下のお客様のみのご搭乗となっております。
お子様の名前を順次読み上げますので、関係者の方はご自身の身分の証明できる免許書等をお持ちいただいて
到着ゲートまで名乗り出てください」

18歳以下?
空港内ロビーは騒然となった。

それで紀子は乗ってないのか。
燈希は本当にこの便に乗っているのか。

しばらくすると到着ゲートに人影が見え始めた。
放射能のスクリーニング検査が行われているのが見える。
ほとんどが小学生ぐらいの子で、揺りかごに入れられた乳児の姿も見える。
泣いている子ばかりだ。
僅かにいる中高校生ぐらいの女の子達が、何人もの子供の面倒を見ていた。

次第に子供の名前が呼ばれる。
空港職員達は子供の服に直接書かれた名前を読み上げているようだ。
読み上げとすぐに名乗り出てくる関係者が大半だが、中にはどれだけ子供の名前を読み上げても出てこないケースも見受けられる。
子供の服に書かれた電話番号に職員達は電話しているようだが、電話はほとんど通じていない様子だ。

「あっ、お父さん、ともちゃんよ!」
寿子が指す先に燈希の姿が見えた。
放射能スクリーニングを受けている。
何か叫びながら、大泣きしている。
恐らく母の名を呼んでいるのだろう。
検査が終わると「相川燈希君の関係者の方いらっしゃいますか」と拡声器から流れ、
孝と紀子は燈希に駆け寄った。

「ともちゃん!」
寿子が燈希を抱きしめる。
「お、おばあちゃん?」
「そうよお婆ちゃんよ」
燈希が寿子の顔を確かめた。その後横から手を握った孝の方を向いた。
「おじいちゃん!」
「よー無事だった燈希。お母ちゃんが居ないのによく頑張った」
孝は泣きながら燈希の頭を撫でた。

前回の帰省はお正月から2月までだったので、約半年ぶりだ。
燈希の成長ぶりは紀子からの携帯の写真で見ていたが、実際に会ってみると赤子の気配はなくなり
幼児となっていた。大きくなった。
ようやく燈希が笑った。

空港職員に免許書を渡すと、証拠に使うのか3人の写真を撮られた。
免許書もコピーされているようだ。
よく見ると辺りに銃を持った自衛官の姿がいる。
本当に軍の統制下となってしまったのだ。

燈希を車のチャイルドシートに座らせ、孝は家路を急いだ。
空港から高岡の自宅に留まるべきか、少しでも西に向かうべきか逡巡する。
国道は同じように思っている人が多いのか、西に向かう道は平日の昼間とは思えないほど渋滞している。
近くに居る肉親達を迎えに行こうとしているのかもしれない。

こんなに道が混むのは夏の花火大会ぐらいのものだ。
この有り様では車で移動してもどうなるかわからない。
孝はハンドルを切り、抜け道を駆使し高岡の自宅に向かうことを選択した。

古い農家である自宅は隙間も多い。
家に着くと急いで雨どいを締め、燈希を一番まん中の部屋に寝かせた。
燈希は泣き疲れて寝ている。
孝と寿子は出来るだけ家中を目張りをし、風呂やバケツに貯めれるだけ水をため、食料を家の中に入れて放射能の来襲に備えた。

2012年8月9日18:00 新宿『悪夢』

路上には幾人もの人が倒れこんでいる。
今回はまぎれもなく「直ちに」人体に影響が出る放射能レベルであることを物語っていた。
最初の頃は人が倒れると回りのビルから救助の人が出てきたが、その救助に出てきた人たちも倒れこむようになると誰もビルから出てこなくなった。
今では新宿が音を無くしたかのように静まり返っている。

ビルでは早くもトイレが大変な状態になっていた。
各フロアはすし詰め状態で、ビル全体がサウナのような蒸し暑さだ。
脱水症状で倒れてた人も大勢いる。
とにかく今は外に出ることは出来ない。
常備していた緊急時の水や食糧も、想定をはるかに超えるこの人数ではあっという間に無くなった。
ビルに通常勤務する人数×3日分だけの備蓄しかない。
こんな状態は明らかに想定外だ。

想定外。

3.11の時に福島第一原発で再三聞かれた言葉だが、それからの1年余り日本は何も想定していなかったのか。
ただ単に目をそむけていただけではないだろうか。
一介のビルの災害担当者ではどうしようもないレベルの惨事に見舞われていることだけは間違いない。

健一の分も含めてスマートフォンは早々にバッテリーが切れを起こし、今では交代で電源を入れ、外部とのネット情報を繋げている。
しかしインターネット自体も多くの期間で不通となった。
電話、インターネットとどこもかしこも止まりつつある。
東京が関東全域がこの状態であれば、全てのインフラが完全に止まってしまうのも時間の問題だろう。

時折自衛隊のヘリが飛んでいるのが見える。
都庁や国会議事堂の方に飛んでいるようなので、お偉さんでも優先して助けていいるのだろうか。

今ではほぼ唯一の外部の情報を取得できる手段となった非常用ラジオは1階のロビーに置かれ、定期的に決められた各階の担当者が情報を収集している。
現在わかっていることは、こんなところだ。
・チェルノブイリや福島第一原発を遥かに上回る惨状に日本が見舞われている。
・福島は壊滅状態で、東北関東は絶対外出禁止。実質日本は軍の統治下におかれている。
・東北関東以外の地域も基本外出禁止。食糧確保の上、自宅待機。
・津波は3.11の1/3の規模だが、原発の放射能のために避難もできず、被害状況も把握できていない。恐らく被害が広がっている。
・3.11時とは異なり今回は原発事故収束のため、各国の支援を即刻受けると首相が表明。

後はデマかどうかわからないが、以下の情報がインターネットに流れているという。
・福島第一第二原発は全て崩壊。女川原発、東海原発もメルトダウン進行中。
・千葉のコンビナート地帯で大規模な火災発生中だが消防活動が出来ず炎上中。
・総理大臣が姿を見せないのは日本を見捨てて既に国外逃亡中のため。
・西に向かう道路で渋滞、衝突事故多発。軍の戦車による道路閉鎖が実施。
・放射能直撃の関東は、1週間は外出できないレベルの高い濃度の汚染が続くらしい。
・中国や韓国などのアジアでも大規模な避難活動が行われいる。日本の救援どころの騒ぎではない。
・地震に連動して富士山が爆発の兆候あり。

何にせよ希望を持てる情報はほとんどない。
誰もが家族に連絡を取りたがった、安否を確認する術は全くなかった。

健一は18時半のラジオ放送に向けて、1階のロビーに向かうべく9階から階段を降りた。
階段のあちこちにも溢れた人が座っている。
幼児を抱えたお母さんが支給された乾パンをほぐして、泣く子供に与えていた。
健一は自分の分の乾パンをお母さんに分け与えた。
お礼を言う母子の姿が一瞬紀子と燈希の姿とダブる。

紀子は空港に居るということ以外はまだ何も分かっていない。
燈希も富山に着いたとの連絡はとれていないが、祖父と祖母が迎えに行ってくれているはずだ。
何とか無事で会ってくれと願う。

1階のロビーも立錐の余地がない惨状であった。
15人ほどの各階の担当者が小さいラジオの前に身を集めている。
その輪の中に健一も加わった。

雑音が酷い中、何とか聞こえているといった電波状況だ。
回りも含め、みんな息を潜めて放送を聞いている。

「副総理の岡場です。18時半の定期放送です。」
雑音の中、岡場の強張った声が聞こえた。
「まだ東北、関東の放射線量は非常に高い状態です。
津波到達予定地域以外の皆さん、くれぐれも外出しないようお願いします。
現在福島の風向きは太平洋方向となり、最初の爆発の放射能の影響は次第に収束に向かっています。
ただ太平洋側の他の原発も予断を許さない状況ですので、当面の外出禁止です」

「当面っていつまでだよ!」
周りで不満の声が上がるが、「静かに!!」の怒声でまた静まり返る。

「自衛隊を初めとする、各国の軍隊による救出作業が開始されますので、
国民の皆様は冷静な行動を務めるようお願いします」

東京だけでも人口は1千300万人。
とても簡単に救助できるような規模ではないことを健一は理解している。
毎日100万人救助出来たとしても、全員が救助されるのには最低13日かかる。
この放射能環境の中、スムーズに救出が行えるとは到底思えない。
皆も分かっているだろうが、それを口にすることは出来ない。

「現在の東京の放射能レベルは、直ちに人命に影響が出るレベルです。
停電が続いていますが、こちらは現在普及に向けて東京電力が・・・」

その後は雑音が酷く、砂嵐を聞いているような状態になってしまった。
チューニングを合わせてみたが、空しい時間が続いただけだった。

健一はまた9階に登り、責任者である会社の常務に身のない状況報告を行った。
「直ちに人命に影響か。。。」
ビルの眼下で倒れている人達を見て、健一はこれから起こるであろう地獄絵図に思いを巡らした。

2012年8月10日 3:00 東京上空『首都移転』

深夜岡場副総理は防護服を身に纏い、ヘリコプターに乗り込んだ。
国会議事堂の特別緊急対策室は3日分持ちこたえられるような準備はされているが、影響の長期化を見越して首都移転の準備が緊急に進められた。
当初のMD9の対策シナリオでは移転する首都は大阪だったが、想定外の被害状況から福岡に切り替わった。

岡場はヘリの窓から足元に広がる東京の街を見た。
停電によって人口の灯りが無い代わりに、小規模な火災が鎮静も出来ずに燃え上がっている。
千葉ではコンビナート地帯を中心に大規模火災が広まっており、手の施しようなく街を燃やし続けている。
東京もそうなるのか。。。

すっかり変わり果てた東京の漆黒の空を見下ろした。
オープンしたばかりの東京スカイツリーの姿や新宿の高層ビルが見える。
この地上では今どんな事態が繰り広げられているのか。
そして今度ここに帰ってくるのはいつの日だろうか。
もしかしたら2度と帰ってくることはないかもしれない。

岡場を乗せた自衛隊のヘリコプターは、西へ西へと向かっていった。

2012年8月12日15:00 新宿『食糧』

暑い。
灼熱の太陽が容赦なく東京を照らす。
外気は恐らく連日33度を超えているだろう。
窓を閉め切った建物の中では、日中は38度を超えていた。

突然の監禁状態から3日目。
周りから入る情報は何も変わっていない。
食糧や水は底を付き、暑さで倒れるものが続出した。
高齢者や幼児など体力のない者から死者がでている。

遺体は高温のビルの中に置いておくわけにはいかず、屋上の窓を一瞬開け、屋上に投げ捨てている。
そして地下駐車場の車からガソリンを抜き、火葬を行った。
自動車は脱出の最後の手段となるため、貴重なガソリンを使うことに反対もあったが、道路が車で埋まり使えない今、衛生面を最優先した。
トイレを含め衛生面が最悪の状況となっている。
このままでは疫病や伝染病が蔓延するのも時間の問題だろう。
その前に餓死で全滅する可能性が高いのだが。

健一がビルの外に目を向けると、他のビルの屋上でも遺体を燃やしているのか小さな煙が見える。
相変わらず下界には動いている人の気配は無い。
人だけではない。
動いているものは空の雲しか見つけられない。
道は車で埋め尽くされたままで、緊急車両が通る術もないだろう。
時折自衛隊のヘリが飛ぶが、人の救助を行っているとは思えない。

ラジオは相変わらず聞こえたり聞こえなかったりで、放送で臨時に首都が福岡に変わったことは分かったが、まだ外出するなの一点張りだ。
大阪以西は緊急時の外出は可能となったという知らせに、少しの光を見出せたが、恐らく東京ではどこの建屋の中も限界を超えているだろう。
希望が見いだせない。
3日前想像した以上の地獄絵図だ。

「岡山さん?岡山さん!?」
後輩が健一の上司である岡山の体を揺すっていた。
「どうした?」
「岡山さんが、亡くなっています、、、」

健一も駆け寄り、岡山の脈を取ったが既にこと切れていた。
結婚式の挨拶をして貰った会社の恩人。
夏バテで体調を崩し休んで復帰したその日に今回の原発爆発に出くわした。
もし休んだまま自宅に居たらどうなっていたのだろうか。
自宅は相模原なので新宿よりは30キロ程度は西のはずだ。
ただこの状況からみると、30キロの違いは無いに等しいだろう。
毎年送られてくる岡山の家族写真の年賀状を思い浮かべながら、家族に連絡する術がないのが健一は悲しかった。

健一は後輩と一緒に硬直し始めている岡山を持ち上げ、屋上に登った。
まだ20代半ばと若い後輩をフロアに戻らせ、気休めだろうがマスクとゴム手袋をして一瞬窓を開け、岡山の遺体を窓から屋上に捨てた。
急いで窓を閉める。
外から見ればこのビルの屋上にも沢山の遺体が積み上がっているだろう。
この後、別の担当のものがガソリンをかけにくる手筈となっている。
最初は一人一人火葬していたが、死者数が増えてきた今は日に一回定期的に行っている。
健一は手を合わせ、階段を降りはじめた。

ん?
ブルブルブル。
遠くでヘリの音が聞こえる。
音は段々近づいて来ている。
それも一台ではない。複数台のヘリの音が聞こえる。
救助か?

健一は最上階のフロアの窓から、大勢の人ともに外を見た。
他のビルでも多くの人が窓にへばりついている。
大型のヘリから黒い大きな箱が投下され始めた。
幾つか投下し終えると、ヘリ達は来た方向に引き返していった。

「もしかして食糧じゃないか?」
誰かが近くの道路に落ちた一つの大きな黒い箱を指さして言った。
軽トラックぐらいの大きさはあるだろうか。

そうか一度に救助できないから、当面を凌ぐための食糧を政府はばら撒き始めたのか。
しかし今、外に出てもいいのか。。。

そう健一が考えている間に、他のビルから人が飛び出してきた。
雨合羽にヘルメット、マスクに手袋の姿で、懸命に箱に絡まっているロープを外している。

それが合図かのように、一人また一人と人が道に飛び出してきた。
3日前の放射能直撃直後のように、即座に人が倒れることはないようだ。
今の放射線量なら大丈夫なのか。

絡み合う紐がほどけ、ようやく黒い箱が開いた。
中には小さな段ボールが幾つも入っている。
既に30人になろうかという人たちが段ボールを奪い合っている。
結構な重さがあるのか、一人一つの段ボールしか持てない。
それを自分のビルの中に投げ入れて、次の段ボールを探している。
瞬く間に黒い箱の中は空っぽとなった。

一つのビルに2個程度の段ボールが行き渡っても焼け石に水であろう。
だがこれが何回か続けば、何とか食料は持ちこたえることができるのではないか。
誰もが希望を持ったが、その後再びヘリが来るまでに、長い時間が空くことを想像することはできなかった。

2012年8月12日16:00 福岡『荒れ狂う核』

10日の朝7時から首都機能は暫定的に福岡は天神に移り、岡場副総理が正式に総理に任命された。
仮の首相官邸の会議室に岡場総理、各電力会社責任者、原子力学者、政治家など40名余りが集まっている。
壁面に埋め込まれた複数のモニタには、東京大学に居る学者や、フランスの放射能専門家などが映し出された。

「先ずは現状の説明を」
岡場総理が秘書官に説明を促した。
「はい。先ずは各地の線量計をご覧ください。単位は全てシーベルトです。マイクロやミリではありません。」

福島原発 999.999シーベルト/時(MAX測定不能)
福島県庁 999.999シーベルト/時(MAX測定不能)
茨城県庁  16.334シーベルト/時
新宿    2.750シーベルト/時
横浜    2.082シーベルト/時
静岡    0.837シーベルト/時
名古屋   0.074シーベルト/時
大阪    0.012シーベルト/時

「9日に4号機が地震で倒壊し放射能火災が発生、1〜3号機が一斉に核爆発を起こしました。
5号機6号機も電源喪失によるメルトダウン後爆発中です。
現在も放射能火災は収まっていませんが、徐々に放射能線量は低下しています。
最大10シーベルト/時前後あった首都近辺の放射線量も3シーベルト以下に下がりました。
本日の風向きは昨日と同様ほぼ無風で、ゆっくりと太平洋側に放射能は流れています」

SPEEDIの情報がモニターに大写しされた。
事故当時とは違い風の方向を表す矢印は、風速が弱いことを示す青色となっている。

「昨日メルトダウンによる爆発しました女川原発ですが、こちらも福島原発と同様に放射線量が高く、半径50キロは近付くことができません。
手の打ちようがなく、少なくとも30年間は高濃度の放射能を放出し続けます」

「くそっ、誰だこんな近くに固めて原発を作ったやつは!!で、東海原発はどうなんだ?」
「東海第二発電所の状況をご報告します。電源の復旧はまだですが、何とか冷却作業は継続中です。
全国各地から電源車をかき集めた結果、、、」
「細かい説明は今はいい!時間がないんだ。とにかく当面は大丈夫なんだな」
「はい、今のところは」

「次、関西電力。大飯原発の状況は?」
「はい。緊急停止作業は順調で問題ありません」
「もんじゅも大丈夫か」
「はい」

2011年の福島第一原発事故後、すったもんだの挙句、強行して再稼働させた大飯原発はたった一カ月余りで再び停止に追い込まれた。
そして高速増殖炉もんじゅ。
MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)を使用し、核のリサイクルを行う夢の原子炉と言われたが、
1ワットも発電することなく、莫大の税金と冷却用のナトリウムを温めるためだけに大量の電力が投入され続けている。
岡場は事故がひと段落ついた後は、世界的にも危険視されている、絵空事に終わったその原子炉を即刻廃炉にする腹づもりだ。

「次、六ヶ所村」
「はい問題ありません」

日本の核のゴミダメ六ヶ所村。
ここにも大量使用済み核物質が眠る。
どこも今何かあったら。
その前に現在の状況だけでも、人類にはほとんど手の施しようが無いのだが。

「自衛隊、食料の投下作戦の状況は?」
「はい。本日12時より米軍との共同作戦による、首都に対しての食糧投下作業を開始しました。
オペレーションは機材の不良による遅れはありますが、概ね順調で、あと2時間で20万人分の食料の投下が完了します」
「20万人分か、、、次の投下予定は」
「はい、30万人分を明後日9時より投下予定です。気象状況等問題は無いと考えます」

東京だけで恐らく1000万人の民がビルや住宅に閉じ込められている。
50万人分の一食の食糧を投下できたとしても、飢えを満たすには不十分だ。
当初放射能の直撃による死者が大量に出たが現在は、火災、餓死、熱中症、疫病による死者が増えている。
ただ実数は誰にもわからない。
しかしやらないよりはマシだ。

「各国からの食料支援の話はとりつけている。航空自衛隊は毎日30万食は投入し続けるように計画を作成し、実行しろ。
それと各所に備蓄されている食料庫の解放作業と、幹線道路の放置自動車の撤去作戦も開始だ。
とにかく陸路の確保を最優先に」
「了解しました」

「JR。復旧の見通しは?」
「はい。地震の影響の線路の点検作業は完了させました。
1日遅れとなりますが何とか明後日までには一部路線の開通が可能な予定です」

「よし、各電力会社より融通した電力も電車、医療機関に集中させろ。
次東京大学。名古屋以西の外出禁止の解除のタイミングはどう思う」
「大阪以西はもう大丈夫です。放射能は少し浴びたぐらいは何ともないので、、、」
「少しじゃないだろっ!?大阪以西は子供も含め大丈夫なんだな?」
「はい、大丈夫です」
「総理、京都大学です。子供はまだダメです。大人も風向きを計算して短時間限定の外出許可としてください」
「わかった。じゃ次は、」
「ま、待ってください総理。東大の備蓄食料が底をつきました。水と食糧をお願いします。できれば私も避難したいのですが、、、」
「自衛隊。食糧だけ東京大学に回してやれ。人の救助はダメだ」
「了解です」

「最後宮内庁。皇居のご様子は?」
「皇太子様以下は自衛隊のヘリで京都にお移りされました。ですが陛下が、、、」
「どうした?」
「陛下と皇后様は、民とともに東京に残る決断をされました」
「、、、。何とかお連れすることはできないのか?」
「はい、陛下のご意思は固く」
「そうか」
「そしてこの国難に際し、直接国民にお話しされたいということで、放送の準備を進めています」
「いつの予定だ」
「準備は整っているのでいつでもよろしいです」
「そうか今日の18時の定期放送にアサインできるのか」
「はい。今すぐにでも開始できますので」
「わかった。今日の定期会見の中で陛下のご講和を放送する」

岡場は周りを見回した。
「諸君、確かに状況は厳しい。しかし民が少しでも希望が持てるよう、これからも最大限努力して欲しい。
一人でも多くの日本国民が生き残るために」

2012年8月12日17:50 羽田『玉音放送』

今のところ羽田では食料は滞りなく配給されている。
主にカロリーメイトや乾パンなどの保存食だが、水も十分だ。
結局9日の燈希を乗せた飛行機以降は、数便が飛んだだけでそれ以降民間機の飛ぶ姿は見えない。
代わりに自衛隊や各国軍隊の輸送機やヘリコプターが昨日から離発着を繰り返すようになった。
大型の輸送機からは多くの積み荷が降ろされている。
食糧などの支援物資なのだろう。
もしも燈希がここに居たら、各国の色んな種類の飛行機や車が見れて大喜びしただろう。
紀子はそんな場面を一瞬思い描いた。

その羽田空港でも未だ電気は点いていない。
勿論冷房も無く、日中は灼熱の暑さだ。
それでも毎日9時12時18時には非常用電源でモニターが灯され、政府の定期放送だけは見ることができた。
空港職員も紀子達と同じ情報しかもってないようで、みんな放送を食い入るように見ている。
最初大量に配置された銃を持った自衛隊員達は、混乱が収まるにつれて数は減ってきて物々しい雰囲気は和らいでいる。

紀子は電池を節約するために、通常ガイガーカウンターの電源は切っていた。
測定する時だけ電源を入れているが、ずっと計測可能なMAX値の9.99マイクロシーベルトを指している。
一体空港内でこんな値なのであれば、空港の外はどれだけのシーベルトを示すのか想像もつかない。
政府の放送でも室内に居るように促すばかりで、具体的な放射能の値は示されていない。
確かに知ったところでどうしようも無いのだが。

窓から見える各国の軍隊の隊員達も、宇宙服のような仰々しい防護服に身を包んでいる。
まだ防護服なしに外に出れる状況ではないようだ。
今までの放送を見る限り、放射能の第一波は関東を直撃した後、静岡、名古屋、大阪という主要都市を通り抜けたようだ。
それ以降は風も止み、緩やかに太平洋に放射能が流れているようで、九州、四国の外出禁止も緩和されている。
と言っても非常事態宣言は解除されず、外出は生命の維持に関わる場合のみに限定されている。
一般人の車の使用も禁止だ。

燈希は富山の両親と会えただろうか。
富山は比較的被害が少ないようだ。
無事飛行機が着いていれば何とかなっていると思っている。

燈希はいい子にしているかな。
夜泣きをしたら、祖母の寿子ひとりでは寝かしつけれないだろう。
夜中でも外に出れれば機嫌が直るのだが、外出できない今は不可能だ。
泣き疲れてでもいいので、毎晩ちゃんと寝れていればよいが。

食糧に関しては富山の実家は農家なので、幸い米は沢山ある。
電気が通じなくても、使っていない竈(かまど)があるのでご飯は炊けるはずだ。
水は井戸があるが、電気のポンプが使えられなければ、昔ながらのバケツでくみ上げて何とかなっているだろうか。
心配なのは古い家なので、隙間が多く放射能が入り込まないかだ。
祖母の寿子には、紀子は帰省のたびに出来るだけ放射能の恐怖を伝えているので分かってくれているとは思う。
何にせよ、祖父母も燈希も無事でいてくれればと願う。

燈希に会いたい。
紀子の目から涙が一滴流れた。

新宿に居る夫の健一も気がかりだ。
携帯の電池もとっくに無くなり、充電する手段も無い。
健一御勤め先は比較的新しいオフィスビルなので地震による耐震性は大丈夫だろうが、とにかく人口が密集している新宿なので、身動きができなくなっているだろう。
連絡もとれない今、紀子にはもう祈ることしかできなかった。

18時となり空港のモニタが点灯された。
やつれて目の下のクマが3重になっている岡場総理の顔を映し出される。

「2012年8月12日18時の定期会見です。
本日より自衛隊、各国輸送機による、食料投下が始まりました。
国民の皆様、冷静に食料の入手をお願いします。先ずは弱っている人から優先して食糧や水を分け与え、」

ピンポン ピンポン 緊急地震速報です。

強めの余震が襲う。
羽田空港で震度4強だろうか。
福岡は揺れていない。

「今、福島で震度5強の余震がありました。津波の心配はありません」
一瞬見慣れたNHKのアナウンサーの映像に切り替わった後、岡場総理の姿が再び映し出された。

「国民の皆様、今の余震は大丈夫です。落ち着いて行動ください」
「よく言うよ、自分達だけは安全なところに逃げていて」

周りから不満の声があがる。
岡場総理の会見で、いくつかのことが話された。
・大阪以西の外出禁止令は緩和され、40歳以上は日中帯の10時〜15時まで外出可能。
・女川原発はメルトダウン後爆発。風向きは太平洋側。
・各国の支援物資が続々届いている。
・食料の降下や、備蓄食料の解放が順次実施中。

会見の最後に岡場総理は「今から、天皇陛下が国民の皆様に向かってお言葉を発します。ご清聴願います」
と話した。
画面は皇居内に設置されたスタジオに切り替わり、陛下の姿が映し出される。

「2012年8月9日に発生した地震により、福島第一原発及び女川原発から大量の放射能が放出されています。
地震による津波被害、火災、放射能で多くの国民が亡くなり、現在もなお悲惨な状況に深く心を痛めています。
また放射能の影響により外出が禁止され、熱中症や食糧不足による死亡者が沢山でております。
私の父は終戦時に『耐え難きを耐え 忍び難きを忍び』と発しました。
今の状況も大変よく似ております。
極めて苦しい環境の民も大勢いらっしゃると思いますが、国民の皆様も今は耐えてください。
耐えがたきを何とぞ耐えてください。
現在各国の支援が続々と届き、自衛隊による食料の配布が始まりました。
どうか希望を失わず、一人でも多くの国民が生き残ることを、ここ皇居で祈っております。
被害が少ない地域の方は、被害が大きい地域を支援するよう、国民全体が助け合って、何れ来る新しい日本を築いていってください。」

ここで陛下は顔をあげ、手元の原稿から視線を外した。
その目はカメラの向こう側の国民を直接見ているかのようにまっすぐで、目には力がこもっている。

「今まで我が国は原子力発電により、大きな電力を得ていました。
それが間違いであったことに、2011年3月に気づかされたはずでしたが、
またこのような大惨事を招いてしまいました。
原子力は人の手に負えるものではないことが、はっきりしていたはずなのにです」

「おい、宮内庁。陛下は原稿にないことをお話しされているぞ!?」

福岡で放送を見ていた岡場総理は、驚いて宮内庁担当者の顔を見た。
予定ではここまで原子力のことについて言及することは無かったはずだ。
「は、はい。私どもも聞いてはおりません。恐らく陛下が自ら語られているようです」

岡場は何も言わず、陛下の次のお言葉を待った。

「1945年。日本は広島、長崎の2か所に原子力爆弾を投下され終戦を迎えました。
2011年には福島で原子力発電所が原子炉がメルトダウン。
水素爆発を起こし福島に立ち入れない事態となりました。
そして本2012年、遂に取り返しのつかない核の大規模な放出を起こしてしまいました。
これは日本だけではなく、世界中に住む、人類、動物、植物、あらゆる生物に対して、未来永劫と思えるような長い間影響を与え続ける大災害です。
核を制御し平和利用することは、今の人類では無理であり、
私達の世代がそのことを抑止できなかったことをどれだけ後悔しても悔やみきれません。

後世に美しい日本を、美しい地球を残すことができませんでした。
またこれからの子孫に対し、長期にわたり多大な負債を負わせてしまいました。

ここに私は宣言します。
平和利用であっても核を制御し扱うことを、日本は未来永劫放棄します。
また世界に対しても呼びかけます。
遅すぎる事態となってしまいましたが、日本の皆様、世界の皆様、どうか核を人類がコントロールできるとは思わないでください。
できるだけ美しい地球を子孫に残すことを第一の優先事項と考え、日々行動してください。

私達人間も地球の上で営む生物の一つに過ぎません。
どんな事象でも科学で制御できると決して思いあがることなく、子孫を継続し続けるという生物本来の当り前の気持ちに従って、物事を考えることを期待します。
国、性別、人種、信仰、経済、お金、政治、思想。
あらゆるものを超えて、全ての人がそう願う世の中がくることを願っております」

最後に陛下は立ちあがり、呼び寄せた皇后さまと手をとり、カメラに向かって一礼した。

紀子の周りでは、何人もの大人が涙を流している。
紀子の目にも涙が溢れる。

30代の紀子だが福島事故前までは、原発の危険性を考えたこともなかった。
その上の世代もほとんどがそうだろう。
そのツケが今の事態なのだ。
確かに遅いのだが、一刻も早く一度暴れだしたら制御不能となる、この地球規模を破滅に導く核を停めるしかないのだ。

そして「祈り」。
もう今の日本は祈ることしか本当にできないのだ。
放射能は何世代にも渡って、漏れ続けるのであろう。
そしてそれを停める手立てはない。
ただ放出され続けるのだ。

燈希、健一、富山に住む紀子の家族達、健一の実家の人々、友人、親戚、今まで携わってきた人々。
そして日本人、世界の人々、動物や植物などの全ての生命。地球。
それらが無事生き残れて、今後も子孫が平和に暮し続ける世の中になりますように。
ただただ涙を流しながら、祈ることしか紀子にはできなかった。

2012年8月13日04:00 新宿『遺書』

紀子、燈希、みんなへ

紀子。羽田に居たということは、今頃は無事東京を脱出できたと信じている。
燈希をよろしく頼む。
お前と過ごした7年間。
喧嘩もいっぱいしたし、贅沢もさせてやれなかったけど、本当に楽しかった。
ありがとう。

燈希。今は富山のおじいちゃん、おばあちゃんの家に居るかな。
いつも持ってるトミカで遊んでるか。
燈希が産まれて、最高に幸せだった。
燈希が大きくなって、勉強して、働いて、結婚して、そして燈希の子供が産まれるのを見届けられたら、
もう俺の人生は何も言うことはないな、と思っていたけど、それも果たせないかもしれない。
お前にしてやれたことはほとんどないけど、どうか人の心を思いやることのできる優しい人になって欲しい。
お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんのいうことをよく聞くんだぞ。
そして大きくなったらお母さんをいっぱい助けてやってくれ。

親父、お袋。
今まで育ててくれてありがとう。
千葉もどうなっているか心配だけど、バイタリティのある二人のことだから大丈夫だと信じている。
生きて会えたらその時は精いっぱい親孝行させてくれ。
今頃こんなことをいう親不孝な長男で本当にすまない。

洋平、香苗。
俺達兄弟三人はいつも仲がよかったな。
頼りない兄貴だったけど、いつも楽しかった。

洋平。もし俺に何かあったら親父お袋を頼むな。

香苗。泣き虫だったお前がもう大学卒業だ。早いな。
無事でいてくれ。また燈希といっぱい遊んでやってくれ。

富山のお義父さん、お義母さん。
燈希と紀子を宜しくお願いします。
何とぞ宜しくお願いします。

俺は今から新宿駅に向かいます。
食料も水もとっくに無くなって、体力の限界が近付いている。
山手線の電車が動いているのを見たという噂を聞いたので、それにかけてみようと思う。
どこまで本当かわからないけど、このままここに居ても死ぬのを待つのみだ。

何人も駅に向かったけど、その後どうなったかは分からない。
会社の後輩の若いのも行ったけど、あいつも無事だといいな。
放射線量が高く駅まで辿り着けないかもしれない。
けど動けるうちに最後の望みにかけてみようと思う。

燈希、紀子、みんな、元気で。
みんなに生きて会えることを願っています。

相川 健一
2012年8月13日早朝


健一は僅かな月明かりで、遺書を書きあげた。
いつもはパソコンばかりでボールペンで長文を書くことがなかったので、随分疲れてしまった。
丁寧に折りたたんで、胸ポケットに忍ばせる。

そうして汗でぐだぐだになっている服の上に、新聞紙を体に巻きガムテームで固定した。
その上にゴミ袋を幾重にも被る。
ゴミ袋もガムテープで固定した。
即席の防護服だ。
よれよれのマスクに、ゴム手袋。
高濃度の放射能に対しどれだけ有効かはわからないが、何もしないよりかは幾らかマシだろう。
防災用の会社のヘルメットもゴミ袋で覆い、僅かに呼吸用の穴を3か所開けた。
口元をハンカチで覆い、ヘルメットを被ってみると当然のことながら呼吸しづらい。
まだ日が昇る前だが、早朝でもサウナのような部屋の中では汗が流れおちる。

健一は残された体力から、今日の日中の暑さで動けなくなると考えた。
日中に比べると幾分涼しく、そしてうっすらと辺りが見通せる早朝に新宿駅に向かうことに決めた。
用意が済むと健一は階段に肩を擦りつけるように降り出し一階を目指す。

9日の事故当日の夜、乾パンを分け与えた階段途中の母子も既に亡くなっている。
とても幼い子供が生きていける状況じゃなかった。
我が子を失って憔悴しきった母親も、昨日息を引き取った。
せめて水があれば、もっと多くの人が生き延びれたのだが。

残った人達も暑さにやられ、まともに動けるのは10人もいないだろう。
衛生面も日毎に劣悪となり、ビル全体が葬儀場の様相を呈している。
いやこのビルだけではない。
新宿が、東京が、関東が、東北が。同じような状況に陥っているだろう。

自衛隊や各国軍隊のヘリの音は聴くが、救出している様子は見受けられない。
思い出したかのように物資は投下されたが、もはやそれを取りに行く力のある人も少ないようだ。

健一はデスクの上に置いてあった、写真立てから写真を取り出した。
燈希の百日参りの帰りに、初めて写真館で撮った親子三人での記念の写真だ。
まだ生後4ヶ月の燈希が小さく写っている。
それ以降も親ばかで撮り貯めた多くの燈希の写真は、スマートフォンの中に収納されているが、今は見るすべがない。

燈希、大きくなったな。
そしてこれからも元気に大きくなれよ。
写真をじっと見つめ、通勤用のリュックの中に締まった。
紀子、燈希、俺に力を貸してくれ。

健一は大きく息を吸った。
事故発生から4日目の朝、ビルから初めて一歩を踏み出した。

2012年8月13日04:00 福岡『日米首脳会談』

対策本部で岡場総理は机に両肘をつき、目を閉じていた。
事故後まともに睡眠はとっていない。
今も一見眠っているように見えるが、耳と脳の一部はしっかりと多岐にわたる報告を聞いていた。
とうに体力の限界は超えているはずだが、重たいながらも妙に頭は冴えた状態が続いている。

「続いて最新の死傷者数の報告です。値はすべて速報の推定値です。
今回の地震による直接の死者は20人。
津波による死者は約1000人。
高濃度放射能による被曝死者が10〜30万人。
火災による死者が4万人以上。
現在も千葉と福島で大規模な火災が続いています。
消火活動も行えず被害は拡大の一途です。
籠城による餓死及び、疫病による死者が20万人〜50万人。
食料の投下が続いていますが、生存者の実体は把握できていません。
また被曝量の実績値から今後1カ月以内の予定死亡数は100万人。
1年以内だと300万人と推測されています。
また今後は人口密集地を中心に衛生状態悪化に伴う、疫病による死者数の増加が懸念されています。
関西以西では病院の受入れ体制の準備を整えていますが、
現在でどの病院も既に満杯で国際医療機関に助けを求めていますが、
どの国も高濃度放射能被爆の患者の受け入れには慎重で、、、」

被害の単位が違いすぎる。
1995年阪神淡路大震災の死傷者数が6,434名。
2011年東日本大震災の死者15,854人、行方不明者3,155人。

今回も地震や津波による死者は報告に寄れば1000人前後だ。
勿論それでも大規模な災害だ。
一人一人に家族があり、社会で大切な人間なのだ。
それが放射能による災害だと単位が一気に10万に跳ね上がる。
数年で東北関東を中心に日本の人口の約1割弱が居なくなってしまうとの報告もある。

岡場総理は学生の頃に流行った「機動戦士ガンダム」というロボットアニメの冒頭のナレーションを思い出した。
「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。
地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。
この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。
人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた」

子供向けのアニメにしては戦争に真剣に向き合ったストーリー。
男の子を中心に一大ムーブメントとなったガンダム。
その世界に近いことがこの日本で起こるとは。
まさに今の日本は戦場だ。

「君は生き延びることができるか」

映画のポスターだったかのキャッチフレーズが、頭にこだまする。

岡場は頭を振り、報告の続きに集中した。
世界各国からも次々と被害状況が明らかになってくる。
4号機プールを中心に吐き出された放射能は既に地球規模で拡散し続け、北半球のほとんどの国で外出禁止令が出された。
各国の至る所でホットスポットが検出され、農業被害も甚大だ。
女川原発も爆発したことにより、まだ1週間は高い濃度で世界中の大気や海を汚染し続けるだろう。

今回の事故前の日本では、西日本の食材が売れ、関東以北の食品は敬遠される動きがあった。
基準値を低くしたが東北関東の食材は売れない。
風評被害と言うよりは、本当に放射能の汚染が引き起こした実被害。
長期間に渡り食べ続けると人体に影響がでる可能性が高い食品の基準値。

岡場もそのことは十分に承知していたが、基準値を下げ過ぎると、
今後農家や水産業者に払わなければならない莫大な賠償金額に恐怖し、
国民には許容して貰うしかないと諦めていた。
そのことが国民の健康に対する保障問題として、さらなる賠償を生む可能性が高かったが、
ガンでの死傷は放射能による影響かは見極めが難しい。

そしてこれからは、日本の中の食物だけの話ではなく、南半球の食物が売れると言われている。
北半球の広大な食物地帯はチェルノブイリを遥かに超える汚染被害となることは確実だ。
投機筋では早くも北半球の食物の価格が暴落し、南半球の食物価格が高騰している。
土地の値段も北半球は下がり、南半球の土地が買いあさられている。
今までの先進国、後進国の概念は一掃され、北半球か南半球かの概念で今後は進んでいくだろう。
日本の価値が一気に底に沈んだのは間違いない。
一時は世界第2位の経済大国だったが、原発爆発を気に世界のお荷物となってしまった。

とにかく今は一人でも多くの日本人の命を救いたい。
岡場はそう思っているが、報告で上がってくるあまりの数字の大きさに押し潰されそうになっていた。

会議室のドアが開いた。
「総理。アメリカ大統領が至急会談したいと連絡がありました。既に回線が繋がっています」

岡場は顔をあげる。
青ざめた表情の秘書官に、切迫した要件であることを悟った。

「よし。すまないが通訳を除いて今すぐこの部屋から出てくれ。今すぐだ」
岡場は立ちあがり、深夜ながら20人ほど詰めかけていた関係者を対策本部から追い出した。
自分でモニタの回線を切り替える。

スリムな足を組んだアメリカ大統領がモニタに映し出された。
首相就任後に2回、衛星電話を使い救援、支援について大統領とは話をしている。
「ミスター岡場。そちらは深夜なのに急な連絡申し訳ない。寝てたかい?」
「いや、会議中だった。気にしないでくれ」
「そうか、ゆっくり休めと言いたいところだが、当面そうもいかないな」
大統領はゆっくりと足を組み替えた。
「ところで早速本題だが、我が国の軍事衛星がおもしろい映像を見つけてね」

きたか、ついに来たか。

会議室のモニタの映像は、高画質の福島第一原発の写真に切り替わった。
「崩壊した4号機の地下に、工場のようなものが見えるが、これは何のプラントかね」
岡場は身を固くした。
「我が国の試算によると4号機のプールが崩壊した場合どんな最悪の気象状況でも、
人間の致死量となる放射能が関東を汚染するまで、最低3日はかかると思っていたんだ。
それがどうだい。今回は3時間も掛からず首都圏が汚染されてしまった。どうしてだい?」
「…」
「放射能の量、爆発の勢いが、試算された計算に比べ強すぎるのだ。
確かに4号機プールに貯められた核物質の量は、それだけで日本を滅ぼすのに十分な量だ。
しかし東北は無理としても、関東では国民が脱出する時間は十分あると思っていた。
その原因がこれかい?」

写真がズームされた。
崩壊した4号機の地下深くの工場らしき床に、ミサイルの破片のようなものが見える。

「驚いたよ。我が国に秘密裏に日本が原発の地下で核ミサイルを開発していたなんてね」
まだ岡場は声を出せないでいる。

「六ヶ所村の地下でなにか行っていないかと、我が国の情報機関も怪しんでいたが、まさか福島だとは思ってもみなかったよ」
画面はまた大統領の映像に切り替わった。
大統領の冷たい瞳が光る。

「2011年に原発が爆発する危機に陥っている際に、何故日本が各国の支援を執拗に拒んだのかようやくわかった。
これだったんだな。
核ミサイルは何機あったんだ?」

「…12発だ」
ようやく岡場は声を発した。

「ヒュー」
大統領が口を鳴らした。

「そうかい。
地震による4号機崩壊でそちらも誘発してしまったんだな。
それにしても残念ながらつくづく日本は、原子力爆弾と縁があるな。
世界最初の原爆投下国。
広島と長崎は我が国によって、そして今回の福島は自分自身の手で作り上げた原子力爆弾によって自国を壊滅させてしまうとは。
まぁ世界のマグニチュード6を超える地震の20%が集中している日本に、
原発を沢山作ること自体がクレイジーだ。
いつ爆発するかわからない原子力爆弾を日本中にばらまいているようなもんだ。」

岡場は最初はアメリカが原発を日本に売りこんだんだろ、と怒鳴りたい衝動をこらえた。

「ともかく各国の諜報機関がもうこの情報に気づき始めている。
明日にはどの国も激しく日本を非難するだろう。覚悟したまえ。
アメリカもこの件については日本のかばうことはできないぞ」

岡場は下を向いた。
今日という一日が今まで以上に大変な日になることは間違いない。

「しかし、日本国民を救うこと、現在放出し続けている放射能を抑えることについては協力する。
支援物資や米軍は今まで以上に投入するよ。他に何かあれば連絡くれ」
「ありがとう大統領」
「では、いい一日を」

通信は切れた。
「くそっ、なんてものを作ったんだ自民党は!官僚は!」
岡場は誰にともなく叫んだ。
その声は対策本部の前で待機していた者たちにも聞こえるほどの大きさだった。

2012年8月13日04:30 新宿『咆哮』

放射能の匂いがする。

健一は一歩外に出た時に確かにそう感じた。
腐敗臭、血の匂い、煙の臭い、焼けたアスファルトからわき上がる匂い。
そのむせ返るような匂いが混じりあう中で、金属質のなんとも言えない匂いがした。
その匂いが放射能の匂いだと健一は感じた。
無味無臭と言われる放射能だが、高濃度の放射能でも同じなのであろうか。

辺りを見回すと放置された自動車や政府が投下したコンテナの残骸が街の中を塞いでいる。
そして老若男女、子供から老人まで大勢の人々が至る所で倒れていた。
倒れている人に目をこらすと、髪の毛は抜け、皮膚は爛れている。
健一は子供の頃に広島平和記念資料館で見た、原爆投下による写真を思い出した。

まだ中学生だった頃の健一が直視できなかった写真。
トラウマになって記憶の奥底に沈んでいた写真群が、記憶の底から浮かび上がってきた。
まさに地獄。この世の地獄。

この場に長時間居るのは不味い。
本能が訴える。
足場の悪い中、健一は足早にJR新宿駅を目指す。
通常なら歩いて15分の場所にある駅。
その通いなれた道が果てしなく遠く感じる。
ゴミ袋や新聞紙で自作した防護服に、何の意味があるのか。

ただただ息苦しい。
体力も残っておらず、足を上げるのも辛い。
倒れている人には焦点を出来るだけ当てないように辺りを見回す。
何か使えるものは、、、あった。
子供を二人乗せる座席が着いたママチャリが一台倒れている。
駆け寄ると幸いキーは付けっ放しだった。
近くには持ち主であろう、母と子供二人が死んでいた。

自転車を起こし、漕ぎ始めた。
車を避けながら、時には屍を乗り越えながら自転車を漕ぐ。
ペダルにいやな感触が伝わる。

「うぉー!!!」
知らずに健一は叫び声をあげていた。
俺は狂ってしまったのか。
自問した。
そう考えられることがまだ正常なんだと一瞬頭を過った。
そしてこの状況では狂わないことのほうが異常なのかもしれないとも思う。
自然に目には涙が溢れた。

「ぬぉぅー!!!」
ガムテープで体に張り付けただけのゴミ袋が、大きな音ではためき、障害物で自転車が弾むたびに外れた。

「燈希ぃー!紀子ぉー!無事で入れくれ!!」
そう叫びながらペダルを漕ぐ。
まだこれほど力が残っていたかと健一自身も驚いたが、蝋燭の灯が消える直前のような、最後の馬鹿力かもしれない。
とにかく今は足に力を込める。

「会いたい!会いたい!会うぞぉ!!!」

新宿駅に近づくに連れ、倒れている人がさらに増えた。
中にはまだかろうじて生きている人もいるだろう。
だが他の人を気遣う心は健一にはもうなかった。
この惨状に自分一人ではもうとっくに諦めていただろう。
気持ちが何度も折れ掛ける。
家族に会いたい、その一心だけが健一を動かしていた。

駅がはっきり見える辺りで自転車を乗り捨てた。
もう余りに倒れている人が多すぎて自転車では進めない。

「ぐぅおおぉーおっ!!!」

咆哮。

健一の喉から、獣の叫び声が放たれた。
叫びながら健一は屍を乗り越えてホームを目指す。
何度も転んだ。
改札口を抜けた。
一日350万人の乗降者数を誇る日本一のマンモス駅。
いつも混雑していたが、今は多くの死体でホームが埋めつくされている。

「だめ、か、、、」
どのホームも生の気配が全くしない。
ということは電車は動いていないということか。
いつの間にか辿り着いた山手線のホームで、健一は座り込んだ。

力が出ない。
もう体のどこにも力が残っていない。
息が荒れる。
喉が渇いた。
何か飲みたい。
ヘルメットを取り、体育座りの格好で頭を抱えた。

もう一歩も動けない。

最後の力を振り絞ってリュックの中から燈希と紀子と三人で映った写真を取り出す。
じっくり眺めて、胸に抱いた。
「ごめん、お父ちゃんはダメみたいだ。ここで最後だ。
燈希、紀子、もう一度会いたかった。
燈希、元気に育ってくれ」
涙で滲んで写真が見えない。
健一はゆっくりと目を閉じた。

何分たったのだろう。
静寂。
何の音もしない。
自分の息遣いだけが聞こえる。
心臓の音も聞こえるが、随分弱まっているようだ。
ドクン、ドクン、ドクン

「もう疲れた」
その時、機械音が遠くで聞こえた。
?

幻聴?
気のせいか?
いや、確かに音が近づいてくる。

健一は顔をあげた。
聞きなれた電車の音だ。
目を凝らすとライトを付けた電車が近付いてきた。
山手線のホームに黒い車両が止まった。
よく見ると通常の車両を黒い布カバーで覆っている。
もしかしたら放射能を遮る素材なのかもしれない。

車両のドアが開く。
白い防護服に身を包んだ人物が3人降りてきた。
「誰か、誰かいるか、生きているものはいるか?」
拡声器の割れた声が辺りに響いた。

ここだ。
健一は立ちあがろうとしたが足に力が入らない。
「誰もいないのか?」
防護服達は辺りを見回して叫んでいる。
足早に立ち去ろうとしているのが、その様子からわかる。

「ここだ!ここにいる!!」

健一は声を張り上げた。
声が掠れる。

「ここだ!俺はまだ生きている!!」

電車に乗り込もうとしていた防護服の一人が振り返った。
健一に気づくともう一人防護服が車内から出て来て、健一を両脇から支えた。
た、助かったのか?
両脇を挟まれながら健一は気を失った。

2012年8月13日06:00 富山『母想ふ』

「おかあしゃーん」
布団の上で燈希が泣き声を上げる。

祖母の寿子は朝食の準備を中断し、燈希の元に駆け寄る。
「ともちゃん、おはよ」
ゆっくりと抱き起こす。
むわっとした体温を燈希の体から感じる。
子供の体温は熱い。
そして昨晩も熱帯夜で寝苦しい夜だった。

富山では4号機崩壊後の停電の期間も、1日と短かった。
大きな山々を望み、黒部ダムを初めとする豊富な水資源に囲まれているおかげで、原子力発電所も無い。
蛇口を捻れば水道も使えて、一見通常の生活をおくれているように見える。
しかし水道や井戸の水は出来るだけ飲まないようにと、政府からお達しがなされていた。

現在の富山高岡市の最大放射線量は7.5マイクロシーベルト/時。
高い数字ではあるが高い頂きに守られ、福島からの風の直撃を免れた結果、今の日本ではかなり低い数値だ。

それでも3.11以降は0.1マイクロシーベルト/時以下の放射線量だったので、75倍以上の汚染地帯となっている。
屋外に出る時間は出来るだけ少なくせねばならない。
ただ外国で何倍も高いホットスポットが点在していることを考えると、非常に運がよかった地域と言える。

祖父の孝は配給制となった水を貰いに、日が昇る前から町役場前で並んでいる。
孝や寿子は水道水を口にしたが、燈希が口にするものは全て事故前に汲まれた配給の水を使っている。
真夏なのに風呂も入らせず、少量の水や米のとぎ汁の残りをタオルに含ませ体を拭いてあげた。
孝の一日は汚染されていないであろう水を入手するためだけで、ほとんどが費やされている。
子供にとってはまさに命の水だ。

水道を捻ればどれだけでも安全な水がでてきた日々が懐かしく、なんと贅沢だったと痛感する。
2011年のメルトダウン以降、放射能が地下水や海を汚染し続け、あらゆる水資源が汚染されていいたが、
今回の大事故で数値は何倍にも跳ね上がった。
岡場総理の会見では小さなお子さんにはなるだけ水道水は与えるなと繰り返すが、ならもっと潤沢に水を配給して貰いたい。

燈希は寿子に抱きかかえられて、しばらくあやすとようやく泣きやんだ。
「よしよし。お母さんは今日には帰ってくるわよ」
「おかあしゃんに、いく」
「うーんお外は危ないから、お母さんのお迎えはお爺ちゃんに行って貰いましょうよ」
「いや、ともき、いく!」
「大丈夫、大丈夫よ」

答えにならない答えで寿子ははぐらかして燈希を食卓の椅子に座らせた。
ご飯に納豆、ナスのお味噌汁。
事故前と何ら変わらない食卓風景。

実家に来た当初、燈希は母の紀子がいないことや、
環境の変化に戸惑って食事をほとんど口にしなかったが、
徐々に食べる量も増えてきて寿子も安心していた。

紙おむつは燈希の帰省に合わせた買い置きがあったので助かった。
食料も今のところは去年収穫した米が十分残っているので安心だ。

しかし今年の田んぼの米は収穫できるのだろうか。
収穫しても食べれるのだろうか。
米農家にとって悩みは尽きない。
だがとにかく今は、とても先のことは考えられない。
今を生き抜くだけでせいいっぱいだ。

汚染されていない水の確保。
母紀子、そして燈希の父である健一が生きているのか。

「おばあちゃん、おかあしゃん?おとうしゃんは?」
寿子は燈希をぎゅっと抱きしめることしかできなかった。

孝は町役場で配られた水を、2時間並んでようやく受け取った。
ペットボトル500mlが3本。
外国製のラベルが貼られている。

「あんちゃんに言っても仕方ないんだろうが、もう少しなんとかならんもんか」
「ええ、希望者に対し本数が全然足りなくて、明日何本入荷できるかもわからんのです」
配給の担当者はすまなさそうに頭を下げた。

孝は原付バイクのアクセルを吹かした。
残りのガソリンも僅かだ。
ガソリンは一瞬でスタンドから消えた。
農作業用に取ってあった燃料を何とか使い回している。
それももう無い。
明日からは自転車で片道30分かけてこんなんかの。

放射能の防護にと農作業用の雨合羽を来てるため、陽が昇るとバイクでも暑苦しい。
自転車じゃどこまで持つか。
時間がかかることによる被曝が心配だ。

妻の体力も気にかかる。
まだ手のかかる一歳児の相手を一日中するには、お互い少し歳を取ったようだ。
孝は富山の山々を見上げた。
この山の向こうに、紀子は元気でいるのだろうか。
無事でいてくれ。

孝はバイクを停め、山の頂きに向かって手を合わせた。

2012年8月14日09:00 羽田『脱出』

昨日の昼過ぎから米軍や自衛隊の大型輸送機が、子供優先で羽田空港に留まっている乗客を輸送し始めた。
残された子供の年齢の小さい順番に輸送している。
行先は告げられていない。
確かに一人一人の事情をくむ状況ではない。
それはわかる。
わかるが、紀子は富山空港に行けるよう何度も懇願してみた。

その声も届かないまま、子供達の輸送が終わり、母親達の中でも比較的若い紀子の順番が回ってきた。
もしかしたら燈希も今は富山高岡の実家ではなく、他の空港に降り立っている可能性もある。
逡巡したが、係員によって有無を言わせず紀子は輸送機に乗せられた。

固い椅子に座りシートベルトを締めた。
爆音を立てて離陸する。
窓側の席だったため、東京の街が見下ろせる。
至る所に煙が上がっている。
時々火の手も見える。
阪神淡路大震災の時は、業火が神戸の街を焼き尽くした。
健一は無事脱出できたのだろうか。

無事でいてください。

紀子は両手をぎゅっと握った。

高度が上がると、遠くでさらなる大きな炎が見えた。
もしかしたら千葉であろうか。
確かめる術もなく、輸送機は高速で雲の上へ突入した。
雲の上は青空で、地獄のような下界の状況が嘘のようだ。
ただこの雲の中にも多くの放射能が貯めこまれているかもしれない。

連日睡眠不足だったため、紀子はいつのまにか眠ってしまった。
目が覚めると既に輸送機は着陸のため高度を下げているようだ。
離陸してから2時間ほど過ぎたであろうか。
乱暴に輸送機は着陸した。

どこかの国の空港のようだ。
日本ではない。
遠くに空港名の看板が見える。
中国語?
パスポートを持っていなかったが、超法規的措置で運ばれてきたのか。

到着すると長い時間をかけ、一人一人入念に放射能スクリーニングを受けた。
スクリーニング後は防護服を来た片言の日本語を喋れる通訳に、いくつか質問され、
質問の回答とスクリーニングの検査結果と思しき内容が書き込まれた用紙を、首から紐でぶら下げられた。
着ていた服は処分され、白いパジャマのような服に着替えさせられる。
軍のバスに乗り、山のふもとにある病院と思しき建物に運ばれた。

コンクリートで固められた味も素っ気も無い病室。
隔離病棟として使われた病室かもしれない。
暗い室内の固いベッドに紀子は横になった。
普段ならそんなベッドには触れたくもなかったが、今は5日振りのベッドが嬉しかった。

これからどうなるのだろう。
涙が一筋流れる。

6人の相部屋には、紀子と歳が近そうな女性達が居た。
誰もが疲労困憊で横になっている。

紀子は涙を拭うと病室を抜け出し、粗末なナースステーションらしき場所に辿り着いた。
中国語が飛び交う。

「電話!テレフォンプリーズ!!」
紀子は電話を指さし、一人の看護婦に向かって叫んだ。

無愛想な若い看護師は、紀子の首にぶら下がった用紙に目を通した。
怪訝な目で用紙の内容を確認した後、プッシュ式の宅内電話が一台窓口カウンターに放り投げられた。
富山の実家に電話は通じるのだろうか。
紀子は電話のボタンを押しかけたが、国際電話のかけ方を知らないことに気づく。

辺りを見回すと、日本人風の年配の男性がトイレに向かっている。
同じように首から用紙をぶら下げているので、日本人に間違いないだろう。
ダメ元で国際電話の掛け方を聞いてみると、意外にも掛け方を知っており、すんなり教えてくれた。

急いで電話のボタンを押す。
焦って何度も押し間違えた。
ようやく全ての番号を押し終えると、しばらくの後コール音が聞こえた。

トゥルルルルゥー
通じた!

一回、二回、三回、コール音が響く。
実家は大きな農家で電話に出るのがいつも遅い。
無限の時のように長く感じる。

もしかして富山も危なくて、みんなで避難しているのかも?
短い時間に色んな想定が頭を駆け巡る。

七回、八回、九回、
十回目で受話器が上がった音がした。

「はい、」
「お母さん!」

相手が名乗るのよりも早く、紀子は母を呼んだ。

「のりちゃん?のりちゃんなのね!?」
「お母さん、、、」
もう声にならない。

「大丈夫?元気なのね」
「うん、うん」

「お父さん!!のりちゃんから電話よ!」
電話の向こうで母寿子が、父の孝を呼びに行っている声が聞こえた。

「紀子、無事なのか!?」
30秒後、走って息が切れた父の声が聞こえた。
「うん、私は大丈夫。中国だと思うけど病院に今着れて来られたところ。それより燈希は?」
「元気だ。ほら燈希、お母さんだぞ」

「おかあしゃん!」
燈希の元気な声が聞こえた。

よかった。
本当によかった。
紀子はその場で泣き崩れた。

2030年8月11日14:30 高岡『希望』

相川燈希。

最初の2011年春の原発事故より19年。
「死の七日間」と言われた、4号機崩壊の大事故があった2012年の夏より18年。
僕は二十歳になっていた。

母は羽田空港に居たことが幸いして、5日目と比較的早い段階で、米軍の輸送機で関東を離れることができた。
中国の病院で通常生活できるまで体力を回復したあと、8月の終わりに富山空港に降り立った。
その頃の記憶は僕にはないのだけど、お爺ちゃんお婆ちゃんと母がいつまでも嬉し涙を流したと聞いた。
何にせよ僕達母子は、4号機崩壊時にたまたま羽田空港に居たため生き残ることができた。
もし柏の家に居る時に崩壊していたら、恐らく死んでいただろう。

父は放射能が起因するガンで10年前に亡くなった。

「死の7日間」で約700万人の日本人が亡くなっている。

父は最初の4日間は、勤めていたオフィスビルに閉じ込められた。
そのあと残った力を振り絞り、今は無き「新宿」という駅に辿り着いたらしい。
そこでやってきた電車に乗り力尽きた。
意識がないまま自衛隊に運ばれ、電車を乗り継ぎ、大阪の病院で最低限の体力が回復するまで入院した。

父も7日間で亡くなった多くの人たちに比べれば、幸運だったと言えなくもない。
もう少し電車が到着するのが遅かったら、もう少し父が駅に向かうタイミングが早かったら助からなかったかもしれない、
と生前よく言っていた。

戦場のような日々を過ごした父は、精神的にもかなり追いつめられて衰弱していた。
その後大阪から鹿児島の病院へと転院し、4カ月かけて体力もメンタル面も回復した後、
富山高岡に辿り着くことができた。

2012年の12月25日。
富山は雪が降っていた。
ホワイトクリスマス。

お爺ちゃん、お婆ちゃん、母と僕で高岡駅に車で迎えに行った。
僕にはおぼろげながら記憶がある。

電車が到着し、ドアが開く。
泣き崩れて再開を喜ぶ母と父。
お爺ちゃん、お婆ちゃんもずっと泣いていた。
僕はお父さんが鹿児島で買ってくれた電車のおもちゃで、ずっと遊んでいたのを覚えている。

父がたの千葉の祖父母や、叔父叔母にあたる父の兄弟達は消息不明のままだ。
亡くなったかどうかさえも正式にはわからない。
回復した父も懸命に探したらしいが、事故後一切連絡はとれなかった。
恐らく高濃度の放射能による被曝か、千葉の大火災によって亡くなったと思われる。

その頃の富山は放射能の直撃を避けられたものの、毎時2.4マイクロシーベルトと普通に暮らすにはまだまだ高い放射線量だった。
それでも祖父母の家に、家族みんなで住むことができた僕達は、幸せな家族だった。

関東から避難した多くの住民は、政府が各地に用意した住宅だけでは圧倒的に足らず、
日本各地や外国に家族が離ればなれになって住むのも当たり前の状態だった。
何せ4号機崩壊前の東京の人口は約1300万人、東京都近郊の関東の人口は約3500万人。日本全体の人口は1億2700万人。
東北を含めた総勢3000万人近い避難民は「日本放射能難民」と世界から呼ばれ、疎まれた。

現在の日本の人口は約6千万人。

事故致死量を超える大量の放射能を浴び、急性の症状で亡くなった人は、東北を中心に120万人。
事故後一年以内に放射能の影響で亡くなった方は600万人。
ほとんどがなんの治療も受けれずに、亡くなっている。
患者の数が莫大で病院も手が回らなかったのだ。

高濃度放射能による籠城生活中に亡くなった方は400万人。
食糧不足、真夏の脱水症状、疫病の蔓延などで大量の死者が出た。
大規模な火事で100万人が亡くなったと言われている。
放射能で近づけないため、火事が発生しても消火活動が行えず、なすすべがなく燃え広がった。

福島原発と女川原発の半径30キロ圏内は今でも近づくことができない。
4号機を含め、福島の6機の原発と女川原発は何ら手をつけることもできず、
メルトダウンによる爆発を繰り返し、19年たった現在に至っても放射能を撒き散らし続けている。
海洋は世界中が汚染され、全世界の大気も同様に酷く汚染された。
何度か各国の軍隊が石棺化を試みたが、高線量の放射能に阻まれた。

事故後海外に避難した日本人は約1500万人。
その後も放射能が影響すると思われるガンで亡くなる人が大勢いて、日本人の人口は急速に減り続けている。

父は2022年にガンで亡くなった。
ガンが発見された時はレベル4まで進行し、延命の治療は行われず、苦痛を和らげる薬だけが投与された。

現在の日本人の平均寿命は48歳。
長寿の国だった面影はなく、ガンの発症率は若年層ほど高い。
僕の友達も大勢ガンで亡くなった。

祖父と祖母は60歳になった際に、国の半強制の作業隊に参加することとなった。
新しい法律では60歳の誕生日に赤紙が届き、放射能汚染地区での復旧作業を行わねばならない。

最初は関東方面で作業し、歳を重ねるたびに、福島に近づき復旧作業を行う。
年に3度は富山に帰ってきたが、過酷な労働でみるみるやせ細り、祖父は64歳、祖母は66歳で亡くなった。

僕と母は祖父と祖母が帰るたびに、お願いだからもう行かないでくれと泣いて頼んだが、
「こんな日本にしてしまったのは私達世代の責任だから」と言って、最後まで働き続けた。
そして僕に向かって、お前達の子供の世代には何とか平和で住める日本にしたい、といつも言ってくれた。
ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん。

日本政府は最初福岡に政府機能を置いたが、最終的には長崎に落ち着いた。
2011年の福島の原発爆発時は、4号機の地下にある核ミサイルの製造プラントの発覚を恐れて外国の援助を全て断った日本政府だが、
2012年は全面的に各国の全ての支援を受け入れた。

核ミサイルを隠し持っていたことにより、悲劇の被害者から一転、日本は世界中から総バッシングされた。
日本国民が悪いわけではないのに、日本人であるだけで卑下される。

核爆弾は過去の米ソの核実験でも世界中の大気を汚染しているのに。
だがあの事故で核爆弾より恐ろしかったのは、やはり4号機の燃料プールに貯められた燃料棒だった。
大量の燃料棒が1か所に集められていたことによる弊害が、あまりにも大きすぎた。
また原発が近隣に隣接しているため、一つの原発で事故が起こると芋づる式に被害が大きくなってしまう。
ともかく日本政府の信頼は落ちるところまで落ち、政府の機能は全て溶け落ちメルトダウンした。

東北関東の不動産や企業が一日にして、何の価値を持たなくなってしまった日本。
当時の政府は借金預金の全て貨幣活動を凍結化した。
緊急事態宣言として全ての金融機関、電力会社の国有化を試みたが、あまりの被害規模に結局維持することはできず、2カ月後あっけなく日本は破たんした。

破たん後日本はアメリカの管理下に置かれ、ハワイ州の一部として吸収されたが、
アメリカの財政悪化に伴い、3年後中国に丸ごと移譲された。

国の通貨がドルから元へと目まぐるしく変わる。
今までの貧富の差が転換し、西日本の比較的汚染の少ない土地を持っていた者、汚染されていない食料を持っていた者が富める者となった。

事故後の食料は配給制となった。
ただ日本の食糧は元より、北半球を中心とした世界各国の穀物地帯も、チェルノブイリの数十倍規模で汚染され続けている。
最近の配給される食糧のほとんどは、屋内の工場で作られた、遺伝子組み換え大豆を加工した食品だ。

数年間は遺伝子組み換えによる健康被害が多発したが、背に腹は代えられない。
遺伝子の配合を組み替える度によくなったり、思わぬ副作用が数年後発生したりを繰り返しながら、試行錯誤の大規模な人体実験が今も続いている。

事故前を知る人からは、昔の日本は色んな食べ物を食べることができて幸せだったという話を聞く。
物ごころついた時から配給生活を送る僕らには想像もつかないが、昔は魚を生で気軽に食べていたという。
現在魚は焼いたもの放射能を除去する薬品と混ぜてなら、何とか食べることができる。
それさえも一部のお金もちの贅沢品なのだが。

今だ関東も立ち入り禁止区域に指定され、大阪名古屋も徐々に降り積もる放射能により汚染地帯となった。
あの時の風向きは本当に日本の重要都市をくまなく襲った。
8年前東海大地震も発生し、かろうじて残っていた日本の企業はほとんどが九州に集約された。



先週母はガンのため高岡の病院に入院し、一昨日手術を行った。
現在ではガンの検査が年2回あり、母は幸い早期の発見で無事ガンは取り除くことができた。

私だけ生き残っちゃったね、と母は悲しく笑う。
僕は病室の椅子に座り、唯一の肉親となった母の手を握った。

コンコン
病室のドアがノックされた。

「のぞみです」
「はーい」

僕の彼女の望(のぞみ)がフリージアの鉢植えを持って入ってきた。
「あら可愛らしいわね。ありがとうね、望ちゃん」
望はフリージアを病室の窓際に置いた。

また暑い夏が到来している。
太陽光による発電で病室内はクーラーが僅かに効いている。
世界の原子力発電所はまだインドと中国とブラジルで僅かに動作しているが、ほとんどが廃炉になった。
勿論日本の原子炉はあの後、1ワットたりとも発電せずに廃炉となっている。

「のぞみちゃんの今日の白いワンピース素敵ね。似合っているわ」
「ありがとうございます」

母は病室の音楽が流れているラジオのボリュームを落とした。
2012年の事故前は消費電力の大きいテレビがどの部屋にも当り前のようにあったらしいが、
今は消費電力の大きい家電は極力排除されている。
よく母は、私が産まれる前の昭和中期の時代の生活に戻ったみたいと話していた。

「あのね、お母さん、今日は報告があるんだ」
僕の横に望が並んだ。

こほん。

「母さんの手術も無事うまくいったし、僕達結婚することに決めたよ」
望がぺこんと頭を下げる。

「あらおめでとう。私のことを待っていたの?気にしないでよかったのに」

母は体を起こし、ベッドサイドの写真立てに手を伸ばした。
2012年。あの年の事故が起こる前の年賀状用に撮影した写真が飾られている。
1歳の僕と若い父母が写った写真だ。

「あなた、燈希が結婚するんですよ。それもこんないいお嬢さんと。あなたも嬉しいでしょう」
母はもう一つの写真立てに一度手を伸ばした。

僕が8歳の時に写した、お爺ちゃん、お婆ちゃん、母、そしてベッドに腰掛けた父。
父の入院していた病院で写した、全員が揃った最期の家族写真。

「おじいちゃん、おばあちゃん、燈希が結婚します。今までありがとう。育ててくれてありがとう」
母の頬を一筋の涙が流れる。
望も横で目をハンカチで押さえている。

「あとそれと、、、実は母さん、望のお腹の中に赤ちゃんがいるんだ」
「ほんとうに!?おめでとう!」
「ああ、今2カ月なんだ」

この時代放射能の影響で何らかの障害を持った子供が生まれる確率は30パーセントに近い。
だが僕らは何があっても子供を産み、育てていくと誓っている。

「私も春にはお婆ちゃんね。望ちゃん、体を大切にね」
「はい」
涙を拭いながら望は頷いた。

もう一度母は写真に目を落とす。
「健一さん。あなたが新宿で書いた遺書に『燈希の子供が産まれるのを見届けられたら、
もう俺の人生は何も言うことはない』と書いていましたよね。
それは叶わなかったけど、私が見届けます。
天国からおじいちゃん達と一緒に見守ってくださいね。」

望は僕と一緒の飛行機で羽田から脱出した赤子の一人で、富山空港についても迎えが誰も現れず
僕の近所の里親に引き取られ育てられた。

優しかった望の里親は必死に服に書かれた望の両親を探してくれたが、連絡がとれることはなかった。
その里親達も亡くなり天涯孤独だ。
今の時代そんな人達で溢れている。
生まれた時は普通の家庭だったとしても、両親がいつ亡くなるかわからない。
子供が先に亡くなるケースも多い。

「望ちゃんのご両親もきっとお喜びのことでしょう」
母は窓の外を眺めた。

「望ちゃんのお父さん、お母さん。
あなたのお子さんと燈希が結婚します。
不束な親子ですが、今後とも宜しくお願いします」
まるで望の両親がそこに居るかのように母は頭を下げた。

「じゃあ今から結婚式をするから」
「え?ここで今から?お友達とか呼ばなくでいいの」
「いいんだ、僕達は母さんの前で結婚式をしたいんだ」

僕はポケットから指輪を二つ取り出した。
「私達は健やかなる時も、病めるときも、いっしょに歩んでいくことを誓います」
「誓います」

僕は指輪を望の手にはめた。
続けて望は僕の手に指輪をはめた。

パチパチ。
母が拍手した。

「そして母さんと生まれてくる子供。私達4人で末長く楽しく生きることを誓います」
「誓います」

母が涙を流しながら拍手をした。

「今日は人生の中で一番うれしい日よ。ありがとう燈希、望ちゃん」
「母さん。今までも本当にありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします」
僕らは手を繋いで母に頭を下げた。

「はい、こちらこそ」
母はベッドサイドからメモと鉛筆を取り出した。

2030年8月11日
相川燈希 望
ここに結婚しました

「はい結婚証明書」
僕達にメモを手渡す。

「あら燈希の『希』と、望ちゃんの『望』で『希望』ね。
なんだか嬉しいわ。」
「ホントだ」

母の書いたメモをみんなで見る。

4号機崩壊のあの日から僕ら家族も、日本も、世界も大きく変わってしまった。
貨幣の価値が薄れ、今では汚染されていない食物や水、土地、空気が一番の価値を持つ世界となった。
経済などの人間が後から生み出した価値は、結局美しい自然の前では大した意味を持たない。

僕は今、ここ富山でもう一度美味しい日本の米を作れないか日々試行錯誤している。
お爺ちゃんよりもっと昔から、ご先祖様が代々耕し続けた水田。

最初はセシウムの濃度が高すぎて作付することもできなかったが、今ではセシウムを除去する研究も世界レベルで随分進んだ。
祖父母が残した農作業の日記を参考に土を耕し、芳醇な土壌を作っている。
何年後になるかわからないけど、ご先祖様が作ったような富山産の立派なお米を日本中のみんなに食べさせたい。
そしてそのノウハウを全国に広めたい。

僕がお米をよく食べることができたのは3歳までだが、甘く美味しかった記憶がある。
産まれてくる子供にも美味しいお米を食べさせてあげたい。
そして日本人が何とか子供、孫と反映できる世界となるように、これから望と生まれてくる子で歩んで行こう。

希望に満ちた未来が訪れることを願って。

小説 [MD9]4号機崩壊+放射能首都直撃

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4goukihoukai@gmail.com

本小説は勿論フィクションです。
実際の人物、団体、事件、原発などとは一切関係ありません。

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もし4号機崩壊に伴う危険性を感じられている方で、啓蒙活動の一環として拡散いただける方がいらっしゃいましたら、
あくまでフィクションとして拡散お願いします。

筆者も平和で安全な日本に向かうための啓蒙の一環とならないかという思いで書いています。
このような現実になればよいと思って書いているわけではないので、ご理解ください。

万が一4号機が崩壊しても、実際は核燃料棒は既に落ち着いて全然大したことがないかもしれません。
もしくはここに書かれているより、もっともっと酷い状況になるかもしれません。
科学的に疎いのでどうなるのか、地震や津波のように予測値の公式見解が発表されればよいのですが。

巨大な余震が来ても、4号機が崩壊しないことを祈りながら。

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